豊岳正彦

無有百姓仏法武士道佛子豊岳正彦父母院不二正恩居士閑人雲居杣人が忘己利他で書く著作権他全権放棄武士道ブログ

幣原喜重郎仏説教政教分離日本国憲法

幣原喜重郎仏説教政教分離日本国憲法
諸悪莫作衆善奉行自浄其意是諸仏教
17. 豊岳正彦[3] lkyKeJCzlUY 2018年4月26日 23:28:15 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[4]
へいけんこんブログより
asyura2.com/18/senkyo243/msg/600.html#c17

2015/08/10

砂川事件最高裁判決は「憲法の神髄」から見て誤っている
heikenkon.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-663b.html
砂川事件最高裁判決は「憲法の神髄」から見て誤っている
内藤 功

 

――前回の新井章先生のご論考に続き、私たちは砂川事件最高裁判決についてさらに考えてみたいと思います。以下は、8月8日に内藤功先生の事務所で行われたインタビューの内容をまとめたものです。(O)

 1959年3月30日に東京地裁が、米軍駐留を許す政府の行為は憲法違反であるという判断(いわゆる伊達判決)をして、1959年12月16日に最高裁大法廷が全員一致でこれを破棄しました。
その破棄の理由は2つあります。
日本に駐留するアメリカ合衆国軍隊は日本の指揮管理する軍隊でないから、憲法が禁止する戦力に当たらないと、こういう形式的な理由がひとつ。
もうひとつは、日米安保条約のように高度に政治性のある問題は、司法審査権になじまない、範囲外だと。
この2点で破棄したわけですね。
その傍論としての、憲法自衛権を否定しない、自衛の措置を禁止しないという部分を、安倍政権は戦争法案が違憲でないという根拠にしています。

 問題は日本国憲法前文のとらえかたにあります。
第1審判決は、前文第1段の「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないように」という戦後政治の原点のところを引用して、これを第二段の「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」、ここにつないでいる。
「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とは、人と人が殺し合わない、ということです。
武力を使わないことです。

 第1審判決はさらに憲法前文第2段の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を維持しようと決意した」、これは前を受けますから、武力によらずに各国民の公正と信義に信頼するというふうにつながる。
だから第1審判決は、「自衛権を否定するものではないが、侵略戦争は勿論のこと、自衛のための戦力を用いる戦争及び自衛のための戦力の保持も許さない」という憲法解釈をしているわけです。
武力を用いないという思想が一貫している、これが憲法の制定経過、帝国議会論議を経てきた憲法の真髄だと思います。

 ところが最高裁判決の文脈はどうかといいますと、まず憲法前文第1段の「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないように」というところを引用しながら、かんじんの第2段の冒頭の「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」、この部分は引用していません。
そして前文第2段の伊達判決が言わなかったところを引用している。
どういうところかというと、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占め」たいと、この部分を引用している。

次に最高裁判決は憲法前文から、「全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と、平和的生存権を引用している。
さらに続けて自衛権の存在を認めたうえで、憲法前文第2段の前のほうに逆戻りして、「わが国の防衛力の不足」は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することによって補うのだから、米国などに安全保障を求めることは禁じられていない、としている。

 つまり砂川事件第1審判決も最高裁判決も、憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」して「われらの安全と生存を保持」というところを引用しています。
けれども、伊達判決は戦争の惨禍の反省から人間は殺し合ってはならない、だから世界の国民の公正と信義に信頼、とつながっている。
これに反して最高裁判決は「名誉ある地位を占める」と「平和のうちに生存する」の2つを、防衛力の不足を補うため「諸国民の公正と信義に信頼」と、こういうふうに結びつけている。


憲法の真髄」というものは、ポツダム宣言以来の歴史的、政治的経過の下で捉えるべきだし、5か月にわたる帝国議会両院での審議と政府の説明によって判断すべきです。
やはり伊達判決の方が正しい、最高裁のほうが憲法前文をねじ曲げたものだと思います。
ですから最高裁判決は「憲法の真髄」から見て誤っていると断定していいと思います。


 さて、いま国会で審議されている戦争法案に関して政府は砂川事件最高裁判決から、2つの誤った態度をとっています。

ひとつはいま申し上げた、個別的自衛権の名の下に武力を行使する、平和的生存権をその論拠にするということです。

もうひとつの誤りは、日本自体が武力攻撃を受けていない場合でも密接な関係のある他国への武力攻撃の応答でも武力をもって参戦できるという、集団的自衛権の根拠にしているということです。


自衛権や自衛措置という最高裁の論理は個別的自衛権の中でも米軍の駐留を認めるという、せいいっぱいそこまでを認めたものであって、日本の自衛隊が海外に出て行って、密接な関係にある他国への攻撃を排除する、このような集団的自衛権行使はここからは出て来ない。

あの裁判は米軍駐留が違憲かどうかが争点だったのであって、立川基地に当時自衛隊は全然いなかったのですから、論議になるわけがないですね。

当時、我々弁護人、検察官、裁判官の共通認識として、自衛権と言えば個別的自衛権だけで、集団的自衛権を含めた自衛権論議するなどという頭は全然なかったのです。


なお、自衛隊イラク派遣についての名古屋高裁の2008年4月17日の判決は、日本の判例として初めて、平和的生存権について具体的な定義をしております。

自国の行う戦争あるいは軍事活動によって国民の権利・生命・自由が脅かされないようにする、これを差し止める国民の権利として認めているわけですね。

砂川事件最高裁判決は、平和的生存権を、集団的自衛権武力行使の根拠にしているので、考え方が全然間違っていると思います。

平和的生存権という考え方の発祥は1941年8月の大西洋憲章だと言われます。

チャーチルルーズベルトの共同宣言。

文脈の第1は、ナチの圧政を頭に置いて、「すべての国民がその国境内で安全に居住することを可能とし、すべての国、すべての人類が恐怖と欠乏から解放され、生命を全うすることを保障するような平和」を求めるとしている。

第2はグローバルな観点ですが、「世界のすべての国民が実際的、精神的のいずれの見地から見ても武力使用の放棄に到達しなければならない」と述べています。

これは後の国連憲章の精神に通じるものです。

第3は、「軍備が国境の外における侵略の脅威を与える国」について、これは日本とドイツですが、これがある限り「将来の平和は維持されない」と述べています。

第4は、「広範で一般的な安全保障制度が確立されるまでは、このような国の武装解除が不可欠」だと。

最後に第5、「平和を愛好する国民のために、軍備負担を軽減する、すべての実行可能な措置を援助する」と続けています。

この文脈からみても、やはり、平和的生存権というものはすべての国民に与えられており、武力行使の放棄や軍備負担の軽減につながるものだと受け取れます。

これが平和的生存権の出発点です。

平和的生存権というものを歴史的な本来の意味からまったく逸脱して、こともあろうに武力による自衛の根拠にしていることの誤りをいま強調することは大事な点であると、砂川事件の弁護人のひとりとして思っています。

2015/08/10 平和的生存権


18. 豊岳正彦[4] lkyKeJCzlUY 2018年4月26日 23:46:49 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[5]
へいけんこんブログheikenkon.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-b8cc.html

2015/08/07

憲政の邪道 暴走する安倍政権
憲政の邪道 暴走する安倍政権
――集団的自衛権立憲主義

新井 章(砂川事件弁護団


【編集部によるまえがき】「平和に生きる権利」は武力によらない安全保障
国会で審議中の安保法案=戦争法案に対して、多くの憲法研究者や法曹界から「違憲」の声が挙がっています。
これに反して、安倍政権が苦しまぎれに「合憲」の根拠としているのは3つです。
1959年の砂川事件最高裁判決、1972年の集団的自衛権に関する政府見解、そして「我が国をめぐる安全保障環境の変化」。
私たちはとくに砂川事件最高裁判決にこだわります。
なぜなら同判決が「自衛権は国家固有の権利」と主張するすぐ前に、日本国憲法前文の「平和のうちに生存する権利」を挙げているからです。
つまり「平和に生きる権利」が武力(この場合は駐留米軍)による安全保障を肯定する論理になっています。
私たち「平和に生きる権利の確立をめざす懇談会」は、日本国憲法の平和主義を守り広げる=武力によらない安全保障を求める運動を、1985年以来、30年にわたって続けてきました。
いま日本が再び海外で戦争をする国になるのか、という平和運動の正念場にあたって、あらためて「平和に生きる権利」を考える連載をお届けします。
その第1回は、砂川事件弁護団の新井章先生からご寄稿いただいた以下の論考です。(O)

1.集団的自衛権問題と砂川事件最高裁判決

1-1 安倍政権による集団的自衛権行使容認政策と安保法制改正(「戦争法案」)の企ては、多くの憲法学者から「違憲」の指摘を受けていよいよその法的正当性が疑われ、国民からの疑問や批判も強まっている。

 安倍首相や高村自民党副総裁らは、この苦境から脱するための窮余の一策として、こともあろうに半世紀前の砂川事件最高裁判決(1959年12月16日)を引き合いに出し、その判示に手前勝手な解釈を加えた上で、この判決はわが国が(集団的)自衛権保有していることを認めているなどとして、あたかもこの判決が彼らのいう集団的自衛権行使容認の主張に「合憲」の“お墨付き”を与えているかのごとく強弁している。
 
 しかし、このような安倍首相らの主張の真偽を検証するには、①最高裁判決をこの裁判事件の第一審からの流れのなかに位置づけて、当時の最高裁がこの裁判事件に関して担わされていた任務や課題は何であったかを的確に把握することが必要であるし、それに加えて何よりも、②最高裁判決の内容そのものがどのような論旨を展開し、判示していたかが、予断をまじえずに客観的・正確に把握されなければならない。

2-1 そこで、まず①の点(裁判の経過)から検討すると、そもそもこの最高裁判決は、検察側の跳躍上告(控訴審を省略 刑事訴訟規則254条1項)により、日米安保条約とそれに基づく米軍駐留を違憲と断じた東京地裁の第一審判決(いわゆる伊達判決 1959年3月30日)を、直ちに速やかに再審査すべき任務の下で行われた裁判であった。

 それゆえに、上告審の審理判断の課題も、第一審判決が採り上げた上記の問題(争点)、すなわち日米安保条約と米軍駐留の憲法(9条)適否についての審判に絞られることになったのは、当然至極の成り行きであり、最高裁での審判の過程に、わが国の集団的自衛権やその行使容認の是非をめぐる問題(争点)のごときが“登場”する余地がなかったことは多言を要しないところである。

2-2 次に②の点(最高裁判決の内容)についてみると、この判決の判示は前段と後段との二部構成となっていて、
前段は、日本政府が安保条約を締結して米軍の全土駐留を許したことが、政府に「戦力の保持」を禁じた憲法9条2項に違反するかどうかという問題(争点)についての判示である。

この判決では、駐留米軍は日本(政府)が保持を禁止された「戦力」には該らぬと判断され、米軍駐留は「合憲」とされている。

 後段は、日米安保条約が「戦争放棄・戦力不保持」を定める憲法9条等の非武装平和主義の趣旨に適合するか否かという問題(争点)についての判示である。

この点に関する最高裁の判断は、日米安保条約の締結という事柄は高度の政治問題なので、司法判断を任務とする裁判所の審判にはなじまぬとする(「統治行為」論)、司法判断回避の結論となった。

 以上のような二段にわたる判決の内容(論旨)からしても、

この最高裁判決が日米安保条約駐留米軍憲法9条等への適合性という問題(争点)に集中して、

それ以外に、

わが国固有の(集団的)自衛権のあり方やその行使容認問題についてまで触れる筋合いのものでなかったことは明白であり、

ましていわんや、

安倍政権の主張する「集団的自衛権の行使容認論」に法的根拠=“お墨付き”を与えるような内容ではなかったことは、一点の疑いもない。


2-3 かくして最高裁判決がわが国の集団的自衛権問題に判断を加えたものでないことはもはや明らかである。

それでもなお安倍首相や高村氏は、判決の前半の部分で裁判所が、
「わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な措置をとりうることは、国家固有の機能の行使として当然のことといわなければならない」と説示している箇所をとり上げ、

ここで裁判所が「自衛のための措置」と述べるのは、

個別的自衛権集団的自衛権も区別しない包括的な表現と読めるし、

少なくとも集団的自衛(権)を排除する趣旨とは解されないから、

この判決はわが国の集団的自衛権(行使)を否定していない(認めている)などと強弁している。


 しかし、この判決の前半が、わが国の有する個別的自衛権(の行使)に関して判示したものであることは、

その論脈からしても、文辞(「自国の平和と安全」「わが国の防衛力の不足」「わが憲法の平和主義は決して無防備・無抵抗を定めたものではない」等)に徹しても疑問の余地はなく、

彼らの立言は、断牽取義でなければ牽強付会の極みという以外にはないのである。


3 私は1956年に弁護士登録して砂川裁判の当時は開業3年目の若輩であったが縁あってこの裁判事件の上告審から弁護団に加わることとなり、

最高裁大法廷での口頭弁論から判決言渡まで、上告審の裁判の全過程に関与することができた。

従って、この裁判の経過や内容に関しては、“証人資格”をもつものの一人と自負してもいる。


2.集団的自衛権行使容認の閣議決定立憲主義

 立憲主義(constitutionalism)とは、国家権力の行使が憲法の定めに則って行われるべきことを求める主張(思想、原理)であって、近代憲法上の大原則の一とされている。

 歴史的には、ヨーロッパ中世以降の王権等による絶対主義体制を克服・打倒する闘いの過程で登場したとされるが、

わが国現憲法においてもこの思想は貫徹され、

違憲立法審査制の導入(81条)や憲法の最高規範性の確認(98条)等の定めに具体化されている。


 ところで、安倍政権ははじめから承知の上で、

憲法9条や前文の定める平和主義(戦争放棄・戦力不保持)の原則を軽んじ、

9条等の下では集団的自衛権の行使は許されぬとしてきたこれまでの歴代政府による憲法解釈を、

閣議決定」をもって敢えて「変更」し、

集団的自衛権の行使容認」――米軍等との共同戦闘行動に踏み切ろうとしているのである。

 もし安倍政権がそのような軍事的な新方針を採択し断行しようとするのであれば、

その内容が憲法9条等の平和原則にも抵触しかねない重大性を帯びているという事柄の性質上、

堂々と「憲法の改正」の手続(憲法第9章)を踏んで行われるべきスジである。

憲法の改正手続が実現困難だからといって、

その手続を回避し、

一内閣の「閣議決定」という行政決定の手続をもって「憲法解釈の変更」(憲法条項の実質的改正)を成し遂げようとするのは、

立憲主義体制への挑戦という以外の何ものでもなく、

憲政の邪道を行くものとの非難を免れないであろう。


3.安倍政権は「戦争法案」の強行で何を狙っているか

 この点について安倍首相自身が語るところによれば、

彼にとっては1945年の第二次大戦での敗北は不本意で不名誉極まる出来事であり、

それに引き続く戦勝連合国の対日占領政策によってわが国の国家主権は制限され、

米占領軍の押しつけ憲法の下で、

日本の伝統的な政治・経済・文化は解体・改変され、

占領終結後も米国軍隊の駐留継続により、

独立国家としては不甲斐ない従属的な状態に甘んじ続けさせられてきた

――このような屈辱的な「戦後レジーム」からの「脱却」をこそ図るべきだというのが、彼の政治家としての信条、宿願であると思われる。


 そして、さような彼の願望を遂げる方策として、

①対外的には、日米軍事同盟における両国の立場の対等化を図り(集団的自衛権行使容認や「国防軍」の創設、海外派兵の恒常化等)、

日本を再び軍事大国に仕立て上げること、

また、

②国内的には、

戦後70年で築かれてきた平和・民主・人権のわが国政治体制を解体・再編し、

国家主義・権力主義的な旧体制(アンシアン・レジーム)を“復活”させること(その青写真が自民党の「改憲案」である)を企図し、

狙っているものと察せられる。


 戦前日本の帝国主義軍国主義的な対外膨張政策(韓国併合や中国大陸侵攻等)がひき起こした、無謀な戦争とその惨禍に対する冷静で真摯な反省を欠いた、

このような安倍首相の「歴史認識」こそが、

国内的には昨今の「戦争法案」強行の基点をなしていると同時に、

国際的には中国・韓国等からの深甚な反撥を招き、

欧米諸国からも「右翼・ナショナリズム」との根深い不信を表明される現況を生み出しているわけである。


 このような安倍政権の危険で憲法違反が明白な“暴挙”を葬り去るために、

私たちは最後まであきらめることなく、全力で闘い抜かねばと決意している次第である。

2015/08/07


19. 豊岳正彦[5] lkyKeJCzlUY 2018年4月27日 00:43:01 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[6]
blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/44242542.html

5月30
内閣総理大臣の孤独な闘い~天皇制と日本の若者を救った幣原喜重郎(この仮説は知っておく価値がある)
カテゴリ:憲法歴史
 今晩(2015年5月30日)配信した「メルマガ金原No.2106」を転載します。

内閣総理大臣の孤独な闘い~天皇制と日本の若者を救った幣原喜重郎(この仮説は知っておく価値がある)

 明日(5月31日)午後2時00分から、和歌山JAビル11階において、「九条の会・わかやま」連続講座「戦争しない国をいつまでも」の第1回が開かれます。
 各回とも、講座は2部構成となっており、前半は「九条の会・わかやま」呼びかけ人がお話され、後半で「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」会員が法的な問題について講師を務めることになっています。
 明日の講座の内容はチラシから転記すると以下のとおりです。

1部 「ユネスコ世界遺産憲法九条―その通底するもの」
     講師:江川治邦氏(元和歌山ユネスコ協会事務局長)
2部 「どこをどう変える安全保障関連法案~その問題点は何か~」
     講師:金原徹雄氏(弁護士) 

 是非、多くの方にご参加いただければと思います(もっとも、会場の定員は96名だそうですが)。

 ところで、先日、この連続講座のための「序論」として書いたものを、メルマガ(ブログ)でご紹介しました。

2015年5月24日
戦争法案 早分かりの術~「どこをどう変える安全保障関連法案~その問題点は何か~」(5/31)序論

 今日はその続編です。
 もっとも、「序論」の続きは、普通であれば「本論」のはずなのですが、それは明日の本番で実際に話してみないと、講師の私自身にも、「どこをどう変える安全保障関連法案」の「肝」がどこかを断言しにくい、話してみて、ようやく自分でも得心がいくというところがあって(学習会の講師を務めた経験のある人なら分かると思いますが)、今日のメルマガ(ブログ)に書くのは「本論」ではありません。
 それでは何なのかといえば、多分「余論」といったものになるでしょう。ただし、非常に重要な「余論」であると思っています。
 「余論」として書きたいと思っていることは2つあります。
 1つは、日本国憲法9条が、日本の若者が「米国の尖兵」となることを阻止してきたという側面と、おそらくはそのことに自覚的であったと思われる総理大臣の「孤独な闘い」についてです。
 もう1つは、以前にもメルマガ(ブログ)で取り上げたことがありますが、自衛隊員による服務宣誓の問題です。
 今日は、その内の前者について考えてみたいと思います。

 5月27日、28日の両日、衆議院・我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会(平和安全特別委員会)における日本共産党志位和夫委員長による質疑を視聴された方は、今次の戦争法案(政府は「平和安全法制整備法」及び「国際平和支援法」と呼称)が成立すれば、安倍晋三首相や中谷元防衛相がいかに遁辞を弄しようが、海外に派遣される自衛隊員が命を落とし、かつ第三者を殺傷するリスクが飛躍的に高まることを、具体的なイメージをもって得心されたことと思います。
※ちなみに、5月28日にメルマガで配信した後ブログにアップした記事(国会論戦はこうありたい~志位和夫日本共産党委員長による安倍首相追及を多くの人に視聴して欲しい)は、主にFacebookでシェアを重ね、私のブログとしては驚異的なことですが、アップしてからの24時間で1,000余のアクセスを記録し、2日目に入った現在でもアクセスは続いており、この稿を書き始めた5月30日午後6時時点では、累計2,300アクセスを超えています。それだけ、多くの人の共感を集めているということでしょう。

 しかも、存立危機事態であれ、重要影響事態であれ、国際平和共同対処事態であれ、米国の意向と無関係な自衛隊の出動などあり得ず、それは改定された(第3次)日米ガイドライン(日米防衛協力のための指針)を一読するだけで明らかです。

日米防衛協力のための指針 2015年4月27日
The Guidelines for Japan-U.S. Defense Cooperation April 27, 2015

 我が国の自衛隊員がいかに危険な任務に投入されようとしているかは、「本論」で論じるべきことであり、上にご紹介した志位和夫氏による質疑の他、昨日のメルマガ(ブログ)でご紹介した龍谷大学の石埼学教授による講義などを視聴して勉強されることをお勧めします(龍谷大学・石埼学教授による日本国憲法講義「平和主義と安保法制」を受講しよう)。

 さて、以上を前提として、次には「なぜ日本の自衛隊員が米国のために命を落とさなければならないのか?」ということを考えざるを得ないのですが、安倍首相から、この最も根本的な疑問にまともに向き合った答弁があると信じる人はおそらく1人もいないでしょう。そんな誠実さが少しでもある政治家であれば、そもそもこんな法案を出してくるはずがなく、昨年7月1日の閣議決定もあり得なかったでしょうから。
 従って、この問いに対する回答は、私たちが自ら考える必要があります。
 そこで、私の意見ですが・・・と言うほど大したことでも何でもなく、多くの識者の意見を祖述するに過ぎませんが、「日本が米国に対する戦争に敗北したから」というものです。それも単なる敗北ではなく、ほぼ抵抗力を喪失する段階まで追い詰められた上での敗北であったということです。そういう意味から言うと、広島、長崎への原爆投下やソ連の参戦を回避できなかった当時の日本政府の判断ミスの代償は非常に大きく、現在にまで尾を引いていると言わねばなりません。 
 
 ところで、ポツダム宣言、特に7項、9項、11項などによれば、占領継続中の日本再軍備などあり得ないと考えざるを得ませんが、占領終結後の日本にもしも「9条」が無かったら一体どうなっていたか、ということを想像したことがあるでしょうか?
 例えば、(制定の経緯はともかく)現在の日本国憲法と非常に良く似た憲法が制定されており、ただ、「戦争の放棄」については侵略戦争の放棄だけが規定されていたとしましょう。そして、軍を保有すること、軍の指揮権が内閣に属すること、通常の裁判所とは別系統の軍事審判所を設置すること、そして、これらの軍事関連規定は独立回復後に施行されることという附則の付いた憲法があったとしましょう。
 いわば歴史を遡って「if」を考えてみるということなのですが、これは、「憲法9条」が果たしてきた歴史的機能を正しく理解するためには必須の作業だと思います。
 
 対日平和条約(1951年9月8日署名/1952年4月28日発効)が発効した時、現実に日本に存在したのは警察予備隊海上警備隊でしたが、これを日本軍に改組するのに憲法上の障害が何もなかったとすれば、すぐさま軍隊に移行したことでしょう。
 当時、朝鮮戦争は既に膠着状態に入り、休戦が模索されている時期でしたし、そもそも単独講和であったため、すぐに日本が国連に加盟できる状況ではなく、日本軍が国連軍の一員として最前線で戦うということはなかったかもしれません。
 しかし、日本が軍を保有することについて憲法上の制約がないということであれば、当然、日米安保条約(旧条約1951年/新条約1960年)の内容も現在と同じものではあり得なかったでしょう。
 そして、ベトナム戦争湾岸戦争アフガニスタン戦争、イラク戦争と、米国が主導権を握って遂行した数々の戦争に、日本軍がいずれも出兵することなく、自国の兵士を戦死させずに済んだと想像することなど到底できない、ということについては大方の同意が得られるのではないでしょうか。
 ちなみに、ベトナム戦争に参戦した韓国軍は約5000人、オーストラリア軍は約450人の戦死者を出し、イギリス軍は、アフガニスタン戦争で約450人、イラク戦争で約180人の戦死者を出し、いずれもそれをはるかに上回る戦傷者を生み出しています。

 「9条」(とりわけその2項)の無い憲法を持つ日本が独立を回復したとして、米軍が本国に引き揚げて日本に駐留せず、日本が自前の軍隊を持つ自主独立の国になり得るような政治的・国際的条件が、1951年当時の我が国に存在したのか?ということが、かねて私が「自主憲法制定論者」や「押しつけ憲法論者」の主張に接するたびに感じる最も根本的な疑問なのです。
 彼らは、もしかすると日本が米国との戦争に完膚なきまでに敗れたという現実(法的には米国、英国、中国、ソ連からの降伏勧告を受諾)を直視するだけの勇気の持ち合わせがないのではないか?あわよくば敗戦など無かったことにしたいのではないか?と思うことがあります。そうとでも考えなければ、国会議員や閣僚というような責任ある立場の者が、堂々と靖国神社に集団で参拝することなど、本来出来るはずはないのですから。
※参照「なぜ総理大臣が靖国神社に参拝してはいけないのか?(基礎的な問題)」(2014年1月1日)

 仮に1951年当時の日本国憲法に「9条」がなかったとしても、独立回復後、ただちに国軍を再建していたとしても、やはり米軍は日本に駐留を続けただろうし、日米両国間の関係は、現実の歴史がたどってきた姿とそう大きく変わったものにはならなかっただろうというのが私の意見なのです。
 つまり、ベトナム戦争で、アフガニスタン戦争で、イラク戦争で、多くの日本の若者が「アメリカの尖兵」として戦い、傷つき、死んでいったに違いないと思います。そして、日本の兵士たちが、多くのベトナム人アフガニスタン人やイラク人を殺傷していたことでしょう。この想像に私は確信を持っています。
 皆さんはどう考えますか?

 そして、連合軍の占領下にあって、いずれ日本が独立を回復したあかつきに、日本の若者が「アメリカの尖兵」となって血を流す姿を想定しながら、結果としてそれを回避するための「孤独な闘い」をした総理大臣がいたということは、まだ学会の通説というところまでは行っておらず、単なる仮説ではありますが、多くの日本人が知っておくべき仮説だと思います。
 ここまで書けばお分かりと思いますが、いわゆる幣原喜重郎憲法9条発案説のことです。
 これまでも、何度かこの説を取り上げたことがあります。

2013年6月6日
憲法9条 幣原喜重郎発案説”について(その1)
2014年8月30日
“平和主義と天皇制”~「戦後レジーム」の本質を復習する
2014年9月1日
戦争に敗けるということ~加藤朗氏『敗北をかみしめて』を読んで考える

 従って、この説の詳細は上記の文章に譲りますが、1945年10月9日から1946年5月24日まで内閣総理大臣の地位にあった幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)は、日本国憲法制定史を考える上での最重要人物の1人です。とりわけ、注目されるのが、以下の約3週間の動きです。

1946年1月24日
 幣原喜重郎が肺炎治療のためにGHQがペニシリンを融通してくれたことへのお礼を述べるためにダグラス・マッカーサー連合軍最高司令官を訪ね、通訳を交えず約3時間会談する。
同年2月1日
 毎日新聞が、内閣に設けられた憲法問題調査委員会(松本委員会)の改憲試案の1つをスクープ掲載した。
同年2月3日
 マッカーサーは、ホイットニーGHQ民政局長に憲法改正の必須要件(マッカーサー三原則)を示した。
同年2月4日
 民政局内に作業班が設置され、GHQ草案(マッカーサー草案)の起草作業が開始された。
同年2月13日 
 外務大臣官邸において、ホイットニーから松本国務大臣吉田茂外務大臣らに対し、さきに提出された日本政府の憲法改正要綱を拒否することが伝えられるとともに、GHQ草案が手交された。

 幣原喜重郎は、内閣総理大臣として、他の閣僚とともに、GHQ草案の提示に衝撃を受けたことになっていますが、実は、1月24日の会談において、その後「マッカーサー三原則」と呼ばれるようになる新憲法の基本原則について協議していたのではないのか、というのが、憲法9条・幣原発案説、もしくは憲法9条・幣原・マッカーサー合作説というものです。
 なお、「マッカーサー三原則」というのは、現行憲法の第1章(象徴天皇制)、第2章(戦争の放棄、戦力の不保持)、第3章(国民の権利及び義務/マッカーサーノートでは封建制の廃止がうたわれている)に結実していますので、「9条」だけということではありません。
 それで、この説の根拠は何か?ということなのですが、1月24日の会談に陪席者がいなかった以上、当事者であるマッカーサーと幣原の証言をまずは聴くべきところ、マッカーサー回顧録にはかなり明瞭に幣原からの提案であったと書かれており、幣原の著書、談話においても、1月24日に提案したとまでは言っていないものの、結論としては自ら発想したものとしており、さらに以下にご紹介するような、平野三郎衆議院議員(晩年衆議院議長を務めていた幣原の秘書官だった)による聞き書き(平野ノート「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」)などもあります。
 もっとも、平野ノートについては、聴き取りをしてすぐにまとめたというものではなく、幣原の死後10年以上経ってから、内閣に設置された憲法調査会会長の求めに応じて提出されたという経緯から、平野氏による推測や創作が紛れ込んではいないか?という吟味が必要でしょう(私にそういう能力はありませんが)。
 ただし、1946年1月当時、敗戦国日本の総理大臣であった幣原にとって、天皇制及び昭和天皇個人をいかにすれば守れるか、ということが最大の政策課題であったことは疑いを容れないでしょう。そして、老練な元外交官であった幣原にとって、内閣の憲法問題調査委員会(松本委員会)で取りまとめられようとしている改憲案では、到底連合国の了解は得られそうもなく、最悪の場合、昭和天皇戦争犯罪人として訴追される事態もないとは言い切れないということが見通せたのだろうと思います。ここから幣原の、閣僚にも一切秘密を漏らせない「内閣総理大臣の孤独な闘い」が始まったと、憲法9条(正確に言えば象徴天皇制と戦争・軍備放棄をセットにした案)幣原発案説を支持する者は考えるのです。
 事実上、天皇から大権を剥奪し、軍備も撤廃するという、ある意味驚天動地の案を幣原が閣内で提起しても、到底実現するとは思えず、閣論不一致で内閣が瓦解に至るに違いないと考えた幣原は、日本の為政者がいざという時には常に発想する「外圧利用策」に打って出ることとし、マッカーサーのもとを訪ねたのです・・・という風に推論が続いていきます。
 これ以上、推論を書き連ねる必要もないでしょうから、以下には、平野ノートの一部を引用するにとどめます。
 実は、現在、国会で審議されている戦争法案を考える上で、幣原喜重郎による「内閣総理大臣の孤独な闘い」を想起すべきだと考えたのには理由があります。
 基本的に幣原発案説の立場に立つとすれば、幣原首相は、軍備を放棄することによって(憲法に「9条」を書き込むことによって)、天皇制を守ることができただけではなく、日本の若者が「アメリカの尖兵」としてあたら命を落とすことも防いだのであり、このことに多くの国民の注意を喚起したいと思ったからです。
 以下に、平野ノートから、幣原首相が、「9条」のような条項が無ければ、早晩、日本の若者が「アメリカの尖兵」とならざるを得ないという将来を見通していたことを裏付ける部分を引用します。

(「みんなの知識 ちょっと便利帳」より)

「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」 平野三郎
(抜粋引用開始)

問(平野) よく分りました。そうしますと憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。尤も草案は勧告という形で日本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ天皇の身体も保証できないという恫喝があったのですから事実上命令に外ならなかったと思いますが。

答(幣原) そのことは此処だけの話にして置いて貰わねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の暮から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来、第九条のようなことを日本側から言いだすようなことは出来るものではない。まして天皇の問題に至っては尚更である。この二つに密接にからみ合っていた。実に重大な段階にあった。

 幸いマッカーサー天皇制を存続する気持を持っていた。本国からもその線の命令があり、アメリカの肚は決っていた。ところがアメリカにとって厄介な問題が起った。それは濠州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は日本を極度に恐れていた。日本が再軍備をしたら大変である。戦争中の日本軍の行動は余りに彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。日本人は天皇のためなら平気で死んで行く。恐るべきは「皇軍」である。という訳で、これらの国々はソ連への同調によって、対日理事会の票決ではアメリカは孤立化する恐れがあった。

 この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。

 豪州その他の国々は日本の再軍備を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。もともとアメリカ側である濠州その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆にソ連を孤立させることが出来る。

 この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。尤も天皇制存続と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。元来天皇は権力の座になかったのであり、又なかったからこそ続いてきたのだ。もし天皇が権力を持ったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を護持する神主のようなものであって、むしろそれが天皇本来の昔に還ったものであり、その方が天皇のためにも日本のためにもよいと僕は思う。

 この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。

 そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君[12]にさえも打明けることの出来ないことである。したがって誰にも気づかれないようにマッカーサーに会わねばならぬ。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二十一年の一月二十四日である。その日、僕は元帥と二人切りで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。

問 元帥は簡単に承知されたのですか。

答 マッカーサーは非常に困った立場にいたが、僕の案は元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。しかし第九条の永久的な規定ということには彼も驚ろいていたようであった。僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった。

 元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの戦略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点であった。それについて僕は言った。

 日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが果たしてアメリカのためであろうか。原子爆弾はやがて他国にも波及するだろう。次の戦争は想像に絶する。世界は亡びるかも知れない。世界が亡びればアメリカも亡びる。問題は今やアメリカでもロシアでも日本でもない。問題は世界である。いかにして世界の運命を切り拓くかである。日本がアメリカと全く同じものになったら誰が世界の運命を切り拓くか。

 好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外はない。

来るべき戦争の終着駅は破滅的悲劇でしかないからである。

その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は自発的戦争放棄国の出現を期待する以外ないであろう。

同時にそのような戦争放棄国の出現も亦ほとんど空想に近いが、幸か不幸か、日本は今その役割を果たし得る位置にある。

歴史の偶然はたまたま日本に世界史的任務を受け持つ機会を与えたのである。

貴下さえ賛成するなら、現段階に於ける日本の戦争放棄は、対外的にも対内的にも承認される可能性がある。

歴史のこの偶然を今こそ利用する秋(とき)である。

そして日本をして自主的に行動させることが世界を救い、したがってアメリカをも救う唯一つの道ではないか。


 また日本の戦争放棄共産主義者に有利な口実を与えるという危険は実際あり得る。

しかしより大きな危険から遠ざかる方が大切であろう。

世界はここ当分資本主義と共産主義の宿敵の対決を続けるだろうが、イデオロギーは絶対的に不動のものではない。

それを不動のものと考えることが世界を混乱させるのである。

未来を約束するものは、絶えず新しい思想に向って創造発展して行く道だけである。

共産主義者は今のところはまだマルクスレーニンの主義を絶対的真理であるかの如く考えているが、そのような論理や予言はやがて歴史の彼方に埋没して終(しま)うだろう。

現にアメリカの資本主義が共産主義者の理論的攻撃にもかかわらずいささかの動揺も示さないのは、資本主義がそうした理論に先行して自らを創造発展せしめたからである。

それと同様に共産主義イデオロギーも何れ全く変貌して終うだろう。

何れにせよ、ほんとうの敵はロシアでも共産主義でもない。

このことはやがてロシア人も気づくだろう。

彼らの敵もアメリカでもなく資本主義でもないのである。

世界の共通の敵は戦争それ自体である。

(引用終わり)

 「内閣総理大臣の孤独な闘い」自体は1つの仮説です。しかし、日本国憲法9条が法規範として「守るべきもの」であった時代に、その9条が日本の若者(とは限らないかもしれませんが)の命を救ってきたことは厳然たる歴史的事実です。
 それが気に入らない、もっと日本人は血を流すべきであったと考える人たちもいるでしょうが(今の政権にもたくさんいるかもしれません)、少なくとも、多くの良識ある日本人はそのような考えに与しないでしょう。
 今まさに、憲法を無視して、日本の若者を「アメリカの尖兵」として差し出そうとする法案が審議されています。
 そして、幣原喜重郎マッカーサーを1人で訪ねた時から69年余りにして、初めて米国連邦議会上下両院合同会議で演説する機会を与えらた総理大臣は、国民にその内容を説明しておらず、国会に提出もしていない法案について、米国の国会議員に対して、以下のように約束しました。
「日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。」
 別に、マッカーサーと通訳なしで重要な会談が出来た幣原喜重郎と語学力を比較して現首相を嘲笑しようというのではありません。
 何を自らに課された最も重要な使命と自覚するか(これが間違っていたらそもそも話にならないけれど)、それを実現するための「孤独な闘い」を厭わぬ覚悟と能力を備えた者だけが、一国のリーダー(内閣総理大臣)にふさわしいということを考える上で、この2人の内閣総理大臣は比べ甲斐があるということです。 


20. 豊岳正彦[6] lkyKeJCzlUY 2018年4月27日 00:53:04 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[7]
_______________________________________________________________

https://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/d7687e6f43b62b9370cba44a9b11bcd1

憲法第九条『戦争放棄』は、世界史の扉を開くすばらしき狂人、幣原首相によって生まれたもの!
2013年05月08日 | 日本とわたし
この、終戦当時の首相であった幣原喜重郎氏による証言を、ぜひ読んでください。
この証言は、国会図書館内にある資料からのもので、戦争放棄条項、憲法第九条が生まれたいきさつが、事細かに書かれています。

憲法のどこが押しつけか?
押しつけ論のウソは、いったい誰が、どんな目的で作り上げたのか。

以下の、幣原首相の言葉は、一言一句、彼のものか、そしてまた事実なのか、美化されたところはないのか、それはわたしにはわからん。
けども、日本自らが、世界平和への鍵をにぎり、そのドアを開けた国であったことがわかり、胸が熱うなった。

「世界は今、狂人を必要としている。
何人かが、自ら買って出て狂人とならない限り、世界は、軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができない。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を、日本が果たすのだ」

なんちゅうすばらしい言葉やとかと思う。
これを今、チンケな政治家がいじろうとしてる。
日本が、原爆を落とされて重傷を負った日本が果たした歴史的使命を、浅はかな人間に奪われてたまるか!

死中に活!

肝っ玉が座った。

↓以下は、証言の中で特に感銘を受けた言葉を抜粋させてもろたもの。

原子爆弾というものができた以上、世界の事情は根本的に変わって終った。
世界は真剣に、戦争をやめることを考えなければならない。
そして、戦争をやめるには、武器を持たないことが一番の保証になる。
軍縮交渉とは、形を変えた戦争。
平和の名をもってする、別個の戦争であって、円滑な合意に達する可能性など、初めからないもの。
原子爆弾が登場した以上、一刻も早く軍拡競争を止めなければならぬとわかっていても、それは不可能。
集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景―それが、軍拡競争の果ての姿。

軍縮は不可能である。
絶望とはこのことであろう。
唯、もし軍縮を可能にする方法があるとすれば、一つだけ方法がある。
それは、世界が一斉に、一切の軍備を廃止することである。
一、二、三の掛け声もろとも、すべての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。
もちろん不可能である。
それが不可能なら不可能なのだ。
ここまで考えを進めてきたときに、九条というものが思い浮かんだ。

要するに、世界は今、一人の狂人を必要としているということである。
何人かが、自ら買って出て狂人とならない限り、世界は、軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を、日本が果たすのだ。
    
日本民族は、幾世紀もの間、戦争に勝ち続け、最も戦闘的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。
神の信条は武力である。
その神は、今や一挙に、下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって、日本民族は依然として、神の民族だと思う。
何故なら、武力は神でなくなったからである。
神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。
日本人は、その悪魔を投げ捨てることによって、再び神の民族になるのだ。
すなわち日本は、この神の声を、世界に宣言するのだ。
それが歴史の大道である。
悠々と、この大道を行けばよい。
死中に活というのは、その意味である』


↓以下、転載はじめ


この資料は、国会図書館内にある、憲法調査会資料(西沢哲四郎旧蔵)と題されたものを、
私(今川)が、川西市立図書館を通じて、国会図書館にコピーを依頼して手に入れ、
さらにそのコピーを、ワードに移し替えたものである。
原文は縦書きであるが、ホームページビルダーの性質上、横書きで書いている。

昭和三十九年二月

幣原先生から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情について

ー平野三郎氏 記―

憲法調査会事務局

は し が き
この資料は、元衆議院議員平野三郎氏が、故幣原喜重郎氏から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情を記したものを、当調査会事務局において印刷に付したものである。
なお、この資料は、第一部・第二部に分かれているが、第一部・第二部それぞれの性格については、平野氏の付されたまえがきを参照されたい。

昭和三十九年二月
憲法調査会事務局


第一部

私が、幣原先生から、憲法についてのお話を伺ったのは、昭和二十六年二月下旬のことである。
同年三月十日、先生が急逝される旬日ほど前のことであった。
場所は、世田谷区岡本町の幣原邸であり、時間は二時間ぐらいであった。
 
側近にあった私は、常に謦咳にふれる機会はあったが、まとまったお話を承ったのは当日だけであり、
当日は、私が、戦争放棄条項や天皇の地位について、日頃疑問に思っていた点を中心にお尋ねし、これについて、幣原先生にお答え願ったのである。
その内容については、その後まもなくメモを作成したのであるが、以下はそのメモのうち、これらの条項の生まれた事情に関する部分を、整理したものである。
 
なお、当日の幣原先生のお話の内容については、このメモにもあるように、口外しないようにいわれたのであるが、
昨今の憲法制定の経緯に関する論議の状況にかんがみて、あえて公にすることにしたのである。


衆議院議員・平野三郎氏: 
かねがね先生にお尋ねしたいと思っていましたが、幸い今日はお閑のようですから、是非うけたまわりたいと存じます。
実は憲法のことですが、私には第九条の意味がよく分りません。   
あれは、現在占領下の暫定的な規定ですか、それなら了解できますが、そうすると何れ、独立の暁には、当然憲法の再改正をすることになる訳ですか。 

幣原喜重郎氏:  
いや、そうではない。
あれは一時的なものではなく、長い間、僕が考えた末の、最終的な結論というようなものだ。

平野氏:
そうしますと、一体どういうことになるのですか。
軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうする訳なのですか。

幣原氏:  
それは、死中に活だよ。
一口に言えばそういうことになる。

平野氏:
死中に活といいますと……。

幣原氏:
たしかに、今までの常識ではこれはおかしいことだ。
しかし、原子爆弾というものができた以上、世界の事情は根本的に変わって終った、と僕は思う。
何故なら、この兵器は、今後更に幾十倍、幾百倍と発達するだろうからだ。
恐らく次の戦争は、短時間のうちに、交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰して終うことになるだろう。
そうなれば、世界は真剣に、戦争をやめることを考えなければならない。
そして、戦争をやめるには、武器を持たないことが一番の保証になる。

平野氏:
しかし日本だけがやめても仕様がないのではありませんか。

幣原氏:
そうだ。
世界中がやめなければ,ほんとうの平和は実現できない。
しかし、実際問題として、世界中が武器を持たないという真空状態を、考えることはできない。

それについては、僕の考えを少し話さなければならないが、僕は、世界は結局、一つにならなければならないと思う。
つまり、世界政府だ。
世界政府と言っても、凡ての国がその主権を捨てて、一つの政府の傘下に集まるというようなことは空想だろう。
だが、何らかの形における世界の連合方式というものが、絶対に必要になる。
何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少なくも、各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ、世界の平和は保たれないからである。
凡そ人間と人間、国家と国家の間の紛争は、最後は腕づくで解決する外はないのだから、どうしても武力は必要である。
しかしその武力は、一個に統一されなければならない。
二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、
交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくとも、武力が威嚇手段として行使される。
したがって、勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、かくて二個以上の武力間には、無限の軍拡競争が展開され、遂に武力衝突を引き起こす。
すなわち、戦争をなくするための基本的条件は、武力の統一であって、
例えばある協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるために必要な国々が、進んで、且つ誠意をもって、それに参加している状態、
この条件の下で、各国の軍備が、国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された武力が存在し、
それに反対して結束するかもしれない、如何なる武力の組み合わせよりも強力である、というような世界である。
    
そういう世界は、歴史上存在している。
ローマ帝国などがそうであったが、何より記録的な世界政府を作ったものは、日本である。
徳川家康が開いた、三百年の単一政府がそれである。
この例は、世界を維持する唯一の手段が、武力の統一であることを示している。
    
要するに、世界平和を可能にする姿は、何らかの国際機関が、やがて世界同盟とでも言うべきものに発展し、
その同盟が、国際的に統一された武力を所有して、世界警察としての行為を行うほかはない。
このことは、理論的に昔から分かっていたことであるが、今まではやれなかった。
しかし、原子爆弾というものが出現した以上、いよいよこの理論を現実に移す時が来た、と僕は信じた訳だ。

平野氏:
それは誠に結構な理想ですが、そのような大問題は、大国同志が国際的に話し合って決めることで、
日本のような敗戦国が、そんな偉そうなことを言ってみたところで、どうにもならぬのではないですか。

幣原氏:
そこだよ、君。
負けた国が負けたからそういうことを言う、と人は言うだろう。
君の言うとおり、正にそうだ。
しかし、負けた日本だからこそできることなのだ。
おそらく世界には、大戦争はもうあるまい。
もちろん、戦争の危機は、今後むしろ増大すると思われるが、原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制するからである。
第二次世界大戦が、人類が全滅を避けて戦うことのできた、最後の機会になると僕は思う。
如何に各国が、その権利の発展を理想として叫び合ったところで、第三次世界大戦が相互の破滅を意味するならば、
いかなる理想も人類の生存には優先しないことを、各国とも理解するからである。
   
したがって各国は、それぞれ世界同盟の中へ溶け込む外はないが、そこで問題は、どのような方法と時間を通じて、世界がその至高の理想に到達するかということにある。
人類は、有史以来最大の危機を通過する訳だが、その間どんなことが起こるか、それはほとんど予想できない難しい問題だが、
唯一つ断言できることは、その成否は一に、軍縮にかかっているということだ。   
もしも有効な軍縮協定ができなければ、戦争は必然に起こるだろう。
既に言った通り、軍拡競争というものは、際限のない悪循環を繰り返すからだ。
常に、相手より少しでも優越した状態に己を位置しない限り、安心できない。
この心理は果てしなく拡がって行き、何時かは破綻が起る。
すなわち、協定なき世界は、静かな戦争という状態であり、それは嵐の前の静けさでしかなく、
その静けさがどれだけ持ちこたえるかは、結局時間の問題に過ぎないという恐るべき不安状態の連続になるのである。 
   
そこで軍縮は可能か、どのようにして軍縮をするかということだが、僕は軍縮を身をもって体験してきた。
世の中に、軍縮ほど難しいものはない。
交渉に当たるものに与えられる任務は、如何にして相手を欺瞞するかにある。
国家というものは、極端なエゴイストであって、そのエゴイズムが最も狡猾で悪らつな狐狸となることを、交渉者に要求する。
虚虚実実千変万化、軍縮会議に展開される交渉の舞台裏を覗きみるなら、何人も戦慄を禁じ得ないだろう。
軍縮交渉とは、形を変えた戦争である。
平和の名をもってする、別個の戦争であって、円滑な合意に達する可能性など、初めからないものなのだ。 
    
原子爆弾が登場した以上、次の戦争が何を意味するか、各国とも分るから、軍縮交渉は行われるだろう。
むしろ軍縮交渉は、合法的スパイ活動の場面として、利用される程である。
不信と猜疑が無くならない限り、それは止むを得ないことであって、連鎖反応は連鎖反応を生み、
原子爆弾は世界中に拡がり、終りには大変なことになり、遂には身動きもできないような瀬戸際に追いつめられるだろう。
    
そのような瀬戸際に追いつめれても、各国はなお、異口同音に言うだろう。
軍拡競争は、一刻も早く止めなければならぬ。
それは分っている。
分ってはいるが、どうしたらいいのだ。
自衛のためには力が必要だ。
相手がやることは自分もやらねばならぬ。
相手が持っているものは自分も持たねばならぬ。
その結果がどうなるか、そんなことは分らない。
自分だけではない。
誰にも分らないことである。
とにかく自分は、自分の言うべきことを言っているより仕方はないのだ。
責任は自分にはない。
どんなことが起ろうと、責任は凡て、相手方にあるのだ。 
    
果てしない堂々巡りである。
誰にも手のつけられない、どうしようもないことである。
集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景―それが、軍拡競争の果ての姿であろう。
    
要するに、軍縮は不可能である。
絶望とはこのことであろう。
唯、もし軍縮を可能にする方法があるとすれば、一つだけ方法がある。
それは、世界が一斉に、一切の軍備を廃止することである。
一、二、三の掛け声もろとも、すべての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。
もちろん不可能である。
それが不可能なら不可能なのだ。
ここまで考えを進めてきたときに、九条というものが思い浮かんだのである。

そうだ。
誰かが自発的に、武器を捨てるとしたらー最初それは、脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。

次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。
自分は何を考えようとしているのだ。
相手はピストルをもっている。
その前にはだかの体をさらそうと言う。
なんという馬鹿げたことだ。
恐ろしいことだ。
自分はどうかしたのではないか。
もしこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂った、と言われるだろう。
まさに狂気の沙汰である。
    
しかし、そのひらめきは、僕の頭の中でとまらなかった。
どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。
恐らくあのとき、僕を決心させたものは、僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。
何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。
今だ。今こそ平和だ。
今こそ平和のために、起つ時ではないか。
そのために生きてきたのではなかったか。
そして僕は、平和の鍵を握っていたのだ。
何か僕は、天命をさずかったような気がしていた。
    
武装宣言ということは、従来の観念からすれば、全く狂気の沙汰である。
だが今では、正気の沙汰とは何か、ということである。
武装宣言が正気の沙汰か、それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果、もう出ている。
    
要するに、世界は今、一人の狂人を必要としているということである。
何人かが、自ら買って出て狂人とならない限り、世界は、軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を、日本が果たすのだ。
    
日本民族は、幾世紀もの間、戦争に勝ち続け、最も戦闘的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。
神の信条は武力である。
その神は、今や一挙に、下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって、日本民族は依然として、神の民族だと思う。
何故なら、武力は神でなくなったからである。
神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。
日本人は、その悪魔を投げ捨てることによって、再び神の民族になるのだ。
すなわち日本は、この神の声を、世界に宣言するのだ。
それが歴史の大道である。
悠々と、この大道を行けばよい。
死中に活というのは、その意味である。

平野氏:
お話の通り、やがて世界はそうなると思いますが、それは遠い将来のことでしょう。
しかし、その日が来るまではどうする訳ですか。
目下のところは差当りは問題ないとしても、他日独立した場合、敵が口実をつけて侵略したら。

幣原氏:
その場合でもこの精神を貫くべきだ、と僕は信じている。
そうでなければ、今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。
しかも次の戦争は、今までとはわけが違う。
僕は、第九条を堅持することが、日本の安全のためにも必要だと思う。
もちろん、軍隊をもたないと言っても、警察は別である。
警察のない社会は考えられない。
とくに、世界の一員として、将来世界警察への分担負担は、当然負わなければならない。
しかし、強大な武力と対抗する陸海空軍というものは、有害無益だ。
僕は、我国の自衛は、徹頭徹尾、正義の力でなければならないと思う。
その正義とは、日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論によって裏付けされたものでなければならない。
そうした与論が、国際的に形成されるように、必ずなるだろう。
何故なら、世界の秩序を維持する必要があるからである。
もしある国が、日本を侵略しようとする。
そのことが、世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それによって脅威を受ける第三国は黙っていない。
その第三国との特定の保護条約の有無にかかわらず、その第三国は当然、日本の安全のために必要な努力をするだろう。
要するに、これからは、世界的視野に立った外交の力によってわが国の安全を守るべきで、だからこそ、死中に活がある、という訳だ。

平野氏:
よく分りました。
そうしますと憲法は、先生の独自の御判断で出来たものですか。
一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果、ということになっています。
もっとも、草案は勧告という形で、日本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ、天皇の身体も保証できないという恫喝があったのですから、事実上命令に外ならなかったと思いますが。

幣原氏:
そのことは、此処だけの話にしておいて貰わねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の春から正月にかけ、僕は風邪をひいて寝込んだ。
僕が決心をしたのは、その時である。
それに僕には、天皇制を維持するという、重大な使命があった。
元来、第九条のようなことを日本側から言い出すようなことは、出来るものではない。
まして、天皇の問題に至っては尚更である。
この二つに密接にからみ合っていた。
実に重大な段階であった。                    
幸いマッカーサーは、天皇制を維持する気持ちをもっていた。
本国からも、その線の命令があり、アメリカの肚は決まっていた。
ところが、アメリカにとって厄介な問題があった。
それは、豪州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関しては、ソ連に同調する気配を示したことである。
これらの国々は、日本を極度に恐れていた。
日本が再軍備したら大変である。
戦争中の日本軍の行動は、あまりにも彼らの心胆を寒からしめたから、無理もないことであった。
日本人は、天皇のためなら平気で死んでいく。
殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の、不可分とも言うべき関係であった。
これらの国々のソ連への同調によって、対日理事会の評決では、アメリカは孤立する恐れがあった。
この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を、同時に提案することを、僕は考えた訳である。
豪州その他の国々は、日本の再軍備化を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。
故に、戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は、廃止されたと同然である。
もともとアメリカ側である豪州、その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆に、ソ連を孤立させることができる。
この構想は、天皇制を存続すると共に、第九条を実現する、言わば一石二鳥の名案である。
もっとも、天皇制存即と言っても、シンボルということになった訳だが、僕はもともと、天皇はそうあるべきものと思っていた。
元来天皇は、権力の座になかったのであり、また、なかったからこそ続いていたのだ。
もし天皇が権力をもったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。
世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。
日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を維持する神主のようなものであって、むしろそれが、天皇本来の昔に戻ったものであり、その方が、天皇のためにも日本のためにも良いと僕は思う。 
この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側から、こんなことを口にすることは出来なかった。
憲法は押しつけられた、という形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら、実際に出来ることではなかった。
そこで僕は、マッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが、
これは実に重大なことであって、一歩誤れば、首相自らが、国体と祖国の命運を売り渡す、国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。
松本君にさえも、打ち明けることのできないことである。
幸い、僕の風邪は肺炎ということで、元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰い、それによって全快した。
そのお礼ということで、僕が元帥を訪問したのである。
それは、昭和二十一年の一月二四日である。
その日僕は、元帥と二人きりで、長い時間話し込んだ。
すべてはそこで決まった訳だ。

平野氏:
元帥は簡単に承知されたのですか。

幣原氏:
マッカーサーは、非常に困った立場にいたが、僕の案は、元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。
しかし、第九条の永久的な規定ということには、彼も驚いていたようであった。
僕としても、軍人である彼が、直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、
賢明な元帥は、最後には非常に理解して、感激した面持ちで、僕に握手した程であった。
     
元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの侵略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点であった。
それについて僕は言った。 
     
日米親善は、必ずしも軍事一体化ではない。
日本がアメリカの尖兵となることが、果たしてアメリカのためであろうか。
原子爆弾は、やがて他国にも波及するだろう。
次の戦争は、想像に絶する。
世界は亡びるかも知れない。
世界が亡びれば、アメリカも亡びる。
問題は今や、アメリカでもロシアでも日本でもない。
問題は世界である。
いかにして、世界の運命を切り拓くかである。
日本がアメリカと全く同じものになったら、誰が世界の運命を切り拓くか。
好むと好まざるにかかわらず、世界は、一つの世界に向って進む外はない。
来るべき戦争の終着駅は、破滅的悲劇でしかないからである。
その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は、自発的戦争放棄国の出現を期待する以外にないであろう。
同時に、そのような戦争放棄国の出現も、また空想に近いが、幸か不幸か、日本は今、その役割を果たしうる位置にある。
歴史の偶然は、日本に、世界史的任務を受けもつ機会を与えたのである。
貴下さえ賛成するなら、現段階における日本の戦争放棄は、対外的にも対内的にも、承認される可能性がある。
歴史の偶然を、今こそ利用する時である。
そして、日本をして自主的に行動させることが世界を救い、したがってアメリカをも救う、唯一つの道ではないか。
また、日本の戦争放棄が、共産主義者に有利な口実を与えるという危険は、実際ありうる。
しかし、より大きな危険から遠ざかる方が大切であろう。
世界はここ当分、資本主義と共産主義の宿敵の対決を続けるだろうが、イデオロギーは絶対的に不動のものではない。
それを不動のものと考えることが、世界を混乱させるのである。
未来を約束するものは、たえず新しい思想に向って、創造発展していく道だけである。
共産主義者は、今のところはまだ、マルクスレーニンの主義を絶対的真理であるかのごとく考えているが、そのような論理や予言は、やがて歴史のかなたに埋没してしまうだろう。
現に、アメリカの資本主義が、共産主義者の理論的攻撃にもかかわらず、いささかの動揺も示さないのは、資本主義がそうした理論に先行して、自らを創造発展せしめたからである。
それと同様に、共産主義イデオロギーも、いずれ全く変貌してしまうだろう。
いずれにせよ、ほんとうの敵は、ロシアでも共産主義でもない。
このことは、やがてロシア人も気付くだろう。
彼らの敵も、アメリカでもなく資本主義でもないのである。
世界の共通の敵は、戦争それ自体である。

平野氏:
天皇陛下は、どのように考えておかれるのですか。

幣原氏:
僕は、天皇陛下は実に偉い人だと、今もしみじみと思っている。
マッカーサーの草案をもって、天皇の御意見を伺いに行った時、実は陛下に反対されたらどうしようかと、内心不安でならなかった。
僕は、元帥と会うときはいつも二人きりだったが、陛下の時は、吉田君にも立ち会ってもらった。
しかし、心配は無用だった。
陛下は言下に、徹底した改革案を作れ、その結果、天皇がどうなってもかまわぬ、といわれた。
この英断で、閣議も納まった。
終戦の御前会議の時も、陛下の御裁断で日本は救われたと言えるが、憲法も、陛下の一言が決したと言ってもよいだろう。
もしあのとき天皇が、権力に固執されたらどうなっていたか。
恐らく、今日天皇はなかったであろう。
日本人の常識として、天皇戦争犯罪人になるというようなことは考えられないであろうが、実際はそんな甘いものではなかった。
当初の戦犯リストには、冒頭に天皇の名があったのである。
それを外してくれたのは、元帥であった。
だが、元帥の草案に天皇が反対されたなら、情勢は一変していたに違いない。
天皇は、己を捨てて国民を救おうとされたのであったが、それによって天皇制をも救われたのである。
天皇は、誠に英明であった。
正直に言って、憲法は、天皇と元帥の聡明と勇断によって出来た、と言ってよい。
たとえ象徴とは言え,天皇と元帥が一致しなかったら、天皇制は存続しなかったろう。
危機一髪であったと言えるが、結果において僕は満足している。
     
なお、念のためだが、君も知っている通り、去年金森君から聞かれた時も、僕が断ったように、このいきさつは僕の胸の中だけに留めておかねばならないことだから、その積りでいてくれ給え。
  
    
ジャンル:
ウェブログ


   
21. 豊岳正彦[7] lkyKeJCzlUY 2018年4月27日 02:30:53 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[8]
日本国憲法前文

小6が暗唱:日本国憲法前文! THE CONSTITUTION OF JAPAN
https://www.youtube.com/watch?v=ePPDNN_QxME

前 文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。

これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。

われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。

われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

________________

あたらしい憲法のはなし

文部省

https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html


一 憲法

 みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。

ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。

 國の仕事は、一日も休むことはできません。また、國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろ/\規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。

 國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。

もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。

もし憲法がなければ、國の中におゝぜいの人がいても、どうして國を治めてゆくかということがわかりません。それでどこの國でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをたいせつに守ってゆくのです。國でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを國の「最高法規」というのです。

 ところがこの憲法には、いまおはなししたように、國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。

それは國民の権利のことです。この権利のことは、あとでくわしくおはなししますから、こゝではたゞ、なぜそれが、國の仕事のやりかたをきめた規則と同じように大事であるか、ということだけをおはなししておきましょう。

 みなさんは日本國民のうちのひとりです。國民のひとり/\が、かしこくなり、強くならなければ、國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。
國の力のもとは、ひとり/\の國民にあります。

そこで國は、この國民のひとり/\の力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國民のひとり/\に、いろ/\大事な権利があることを、憲法できめているのです。この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の中に書いてあるのです。


 そこでもういちど、憲法とはどういうものであるかということを申しておきます。

憲法とは、國でいちばん大事な規則、すなわち「最高法規」というもので、その中には、だいたい二つのことが記されています。

その一つは、國の治めかた、國の仕事のやりかたをきめた規則です。

もう一つは、國民のいちばん大事な権利、すなわち「基本的人権」をきめた規則です。

このほかにまた憲法は、その必要により、いろ/\のことをきめることがあります。

こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、これからは戰爭をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。

 これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。

しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。

この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。

それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。

 みなさんも日本國民のひとりです。

そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。

みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。

こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。

そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。

 みなさんが、何かゲームのために規則のようなものをきめるときに、みんないっしょに書いてしまっては、わかりにくい[#「わかりにくい」は底本では「わかりくい」]でしょう。

國の規則もそれと同じで、一つ/\事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつけて、第何條、第何條というように順々に記します。

こんどの憲法は、第一條から第百三條まであります。

そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。

これを「前文」といいます。

 この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。

この前文というものは、二つのはたらきをするのです。

その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。

つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。

もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。

挿絵2

 それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。

いちばん大事な考えが三つあります。

それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。

「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。

主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。

それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。

まず「民主主義」からおはなししましょう。


二 民主主義とは

 こんどの憲法の根本となっている考えの第一は民主主義です。

ところで民主主義とは、いったいどういうことでしょう。

みなさんはこのことばを、ほう/″\できいたでしょう。

これがあたらしい憲法の根本になっているものとすれば、みなさんは、はっきりとこれを知っておかなければなりません。

しかも正しく知っておかなければなりません。


 みなさんがおゝぜいあつまって、いっしょに何かするときのことを考えてごらんなさい。

だれの意見で物事をきめますか。

もしもみんなの意見が同じなら、もんだいはありません。

もし意見が分かれたときは、どうしますか。

ひとりの意見できめますか。

二人の意見できめますか。

それともおゝぜいの意見できめますか。

どれがよいでしょう。

ひとりの意見が、正しくすぐれていて、おゝぜいの意見がまちがっておとっていることもあります。

しかし、そのはんたいのことがもっと多いでしょう。

そこで、まずみんなが十分にじぶんの考えをはなしあったあとで、おゝぜいの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。

そうして、あとの人は、このおゝぜいの人の意見に、すなおにしたがってゆくのがよいのです。

このなるべくおゝぜいの人の意見で、物事をきめてゆくことが、民主主義のやりかたです。


 國を治めてゆくのもこれと同じです。

わずかの人の意見で國を治めてゆくのは、よくないのです。

國民ぜんたいの意見で、國を治めてゆくのがいちばんよいのです。

つまり國民ぜんたいが、國を治めてゆく――これが民主主義の治めかたです。


 しかし國は、みなさんの学級とはちがいます。

國民ぜんたいが、ひとところにあつまって、そうだんすることはできません。

ひとり/\の意見をきいてまわることもできません。

そこで、みんなの代わりになって、國の仕事のやりかたをきめるものがなければなりません。

それが國会です。

國民が、國会の議員を選挙するのは、じぶんの代わりになって、國を治めてゆく者をえらぶのです。

だから國会では、なんでも、國民の代わりである議員のおゝぜいの意見で物事をきめます。

そうしてほかの議員は、これにしたがいます。

これが國民ぜんたいの意見で物事をきめたことになるのです。

これが民主主義です。

ですから、民主主義とは、國民ぜんたいで、國を治めてゆくことです。

みんなの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。

だから民主主義で國を治めてゆけば、みなさんは幸福になり、また國もさかえてゆくでしょう。


 國は大きいので、このように國の仕事を國会の議員にまかせてきめてゆきますから、國会は國民の代わりになるものです。

この「代わりになる」ということを「代表」といいます。

まえに申しましたように、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことですが、國会が國民ぜんたいを代表して、國のことをきめてゆきますから、これを「代表制民主主義」のやりかたといいます。


 しかしいちばん大事なことは、國会にまかせておかないで、國民が、じぶんで意見をきめることがあります。

こんどの憲法でも、たとえばこの憲法をかえるときは、國会だけできめないで、國民ひとり/\が、賛成か反対かを投票してきめることになっています。

このときは、國民が直接に國のことをきめますから、これを「直接民主主義」のやりかたといいます。

あたらしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義と、二つのやりかたで國を治めてゆくことにしていますが、代表制民主主義のやりかたのほうが、おもになっていて、直接民主主義のやりかたは、いちばん大事なことにかぎられているのです。

だからこんどの憲法は、だいたい代表制民主主義のやりかたになっているといってもよいのです。


 みなさんは日本國民のひとりです。

しかしまだこどもです。

國のことは、みなさんが二十歳になって、はじめてきめてゆくことができるのです。

國会の議員をえらぶのも、國のことについて投票するのも、みなさんが二十歳になってはじめてできることです。

みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上の方もおいででしょう。

そのおにいさんやおねえさんが、選挙の投票にゆかれるのをみて、みなさんはどんな氣がしましたか。

いまのうちに、よく勉強して、國を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。

もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、國のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。

みなさんの考えとはたらきで國が治まってゆくのです。

みんながなかよく、じぶんで、じぶんの國のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。

これが民主主義というものです。

 

三 國際平和主義

 國の中で、國民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、國民の意見は、人によってずいぶんちがっています。

しかし、おゝぜいのほうの意見に、すなおにしたがってゆき、またそのおゝぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく國の仕事をやってゆくのでなければ、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。

挿絵3

 これは、一つの國について申しましたが、國と國との間のことも同じことです。

じぶんの國のことばかりを考え、じぶんの國のためばかりを考えて、ほかの國の立場を考えないでは、世界中の國が、なかよくしてゆくことはできません。

世界中の國が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、國際平和主義といいます。

だから民主主義ということは、この國際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。

こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの國にたいしても國際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。

この國際平和主義をわすれて、じぶんの國のことばかり考えていたので、とうとう戰爭をはじめてしまったのです。

そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この國際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。

またこの考えが、あとでのべる戰爭の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。

 

四 主権在民主義

 みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。

いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。

勉強のよくできることでしょうか。

それとも力の強いことでしょうか。

いろ/\きめかたがあってむずかしいことです。


 國では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。

もし國の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。

もしおおぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、みないちばんえらいことになります。

もし國民ぜんたいの考えできまるならば、國民ぜんたいが、いちばんえらいのです。

こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、國民ぜんたいの考えで國を治めてゆきます。

そうすると、國民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。

挿絵4

 國を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が國民ぜんたいにあれば、これを「主権は國民にある」といいます。

こんどの憲法は、いま申しましたように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権は、とうぜん日本國民にあるわけです。

そこで前文の中にも、また憲法の第一條にも、「主権が國民に存する」とはっきりかいてあるのです。

主権が國民にあることを、「主権在民」といいます。

あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権在民主義の憲法であるということになるのです。


 みなさんは、日本國民のひとりです。

主権をもっている日本國民のひとりです。

しかし、主権は日本國民ぜんたいにあるのです。

ひとり/\が、べつ/\にもっているのではありません。

ひとり/\が、みなじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。

それは民主主義にあわないことになります。

みなさんは、主権をもっている日本國民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。

よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません。


・・・・・・・

中略(参照)https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html

・・・・・・・

十五 最高法規

 このおはなしのいちばんはじめに申しましたように、「最高法規」とは、國でいちばん高い位にある規則で、つまり憲法のことです。

この最高法規としての憲法には、國の仕事のやりかたをきめた規則と、國民の基本的人権をきめた規則と、二つあることもおはなししました。

この中で、國民の基本的人権は、これまでかるく考えられていましたので、憲法第九十七條は、おごそかなことばで、この基本的人権は、人間がながいあいだ力をつくしてえたものであり、これまでいろ/\のことにであってきたえあげられたものであるから、これからもけっして侵すことのできない永久の権利であると記しております。

 憲法は、國の最高法規ですから、この憲法できめられてあることにあわないものは、法律でも、命令でも、なんでも、いっさい規則としての力がありません。

これも憲法がはっきりきめています。

 このように大事な憲法は、天皇陛下もこれをお守りになりますし、國務大臣も、國会の議員も、裁判官も、みなこれを守ってゆく義務があるのです。

また、日本の國がほかの國ととりきめた約束(これを「條約」といいます)も、國と國とが交際してゆくについてできた規則(これを「國際法規」といいます)も、日本の國は、まごころから守ってゆくということを、憲法できめました。

 みなさん、あたらしい憲法は、日本國民がつくった、日本國民の憲法です。

これからさき、この憲法を守って、日本の國がさかえるようにしてゆこうではありませんか。


おわり

 


底本:「あたらしい憲法のはなし」日本平和委員会
   1972(昭和47)年11月3日初版発行
   2004(平成16)年1月27日第38版
底本の親本:「あたらしい憲法のはなし」実業教科書株式会社
   1947(昭和22)年7月28日同日翻刻印刷
   1947(昭和22)年8月2日同日翻刷発行
   1947(昭和22)年8月2日文部省検査済
※「/\」と「/″\」の使い方は、底本通りにしました。
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2004年6月9日作成
2013年6月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

 

*表記について
このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
[#…]は、入力者による注を表す記号です。


_____________________________
_____________________________
_____________________________


五箇条の御誓文

https://ja.wikipedia.org/wiki/五箇条の御誓文

五箇条の御誓文

この項目では、1868年に布告された五項目からなる明治政府の基本方針について説明しています。朝鮮商工連と国税庁との間に取り交わされたとされる五項目の協定については「五項目の合意事項」をご覧ください。

五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)は、慶応4年3月14日[1](1868年4月6日)に明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針である。正式名称は御誓文であり、以下においては御誓文と表記する。

(転記者註:天皇が天地神明に誓約することを日本古来「詔勅」という。
聖徳太子法皇大王すなわち後の天皇とおなじ位であるから、
十七条憲法も日本古来日本語の正しい意味で天皇が天地神明に誓う「詔勅」であり、
十七条憲法と五箇条ご誓文とは同じである。

しかしながら、大日本帝国憲法明治22年明治政府総理として廃仏毀釈した伊藤博文天皇絶対不可侵の唯一絶対神専制独裁条項を盛り込んで起草しており、
これは十七条憲法と五箇条ご誓文の詔勅を臣下の身で恣意的に破棄した大逆不敬の菲法であった。
大日本帝国憲法は中世キリスト教ヨーロッパの王権神授説そのものであり、
政教一致カルト専制弾圧搾取の武器でしかなかったのである。)


起草の過程[編集]
明治新政府大政奉還後の発足当初から「公議」を標榜し[2]、その具体的方策としての国是を模索していた。慶応4年(1868年)1月、福井藩出身の参与由利公正が、「議事之体大意」五箇条[3]を起案し、次いで土佐藩出身の制度取調参与福岡孝弟が修正し、そのまま放置されていた。それを同年3月に入って長州藩出身の参与木戸孝允が加筆し[4]、同じく参与の東久世通禧を通じて議定兼副総裁の岩倉具視に提出した。
福岡孝弟は、由利五箇条に対して第一条冒頭に「列矦會議ヲ興シ」(列侯会議ヲ興シ)の字句を入れるなどして封建的な方向へ後退させ、表題も「会盟」に改めたため、列侯会盟の色彩が非常に強くなった。さらに福岡は発表の形式として天皇と諸侯が共に会盟を約する形を提案した。しかし、この「会盟」形式は、天皇と諸侯とを対等に扱うものであり、「諸事神武創業之始ニ原キ」とする王政復古の理念にも反するという批判にさらされた。

そこで、参与で総裁局顧問の木戸孝允は、

天皇天神地祇(てんじんちぎ。簡単に言えば神)を祀り、神前で公卿・諸侯を率いて共に誓いの文言を述べ、かつ、その場に伺候する全員が署名するという形式を提案し、

これが採用されることとなった。その際、木戸は、(1)福岡案第一条の「列侯会議ヲ興シ」を「廣ク會議ヲ興シ」(広ク会議ヲ興シ)に改め、(2)「徴士」の任用期間を制限していた福岡案第五条を削除して、(3)木戸最終案第四条「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」を新たに組み込み、五箇条の順序を体裁良く整え直すなど、大幅に変更を加え、より普遍的な内容にした。また、議定兼副総裁の三条実美も福岡案表題の「会盟」を「誓」に修正したため、木戸による五箇条が「誓文」「御誓文」「五箇条誓文」「五箇条の御誓文」と呼ばれるようになった。この木戸五箇条が、天下に布告すべき日本国の国是として明治天皇の裁可を受け、慶応4年3月14日(1868年4月6日)、朝廷の偉大さを天下に確定させんとする木戸の狙い通り、誓約された。木戸は後日その意図について、「天下の侯伯と誓い、億兆の向ふ所を知らしめ、藩主をして其責に任ぜんと欲し」たと述べている[5]。

儀式と布告[編集]

中略参照https://ja.wikipedia.org/wiki/五箇条の御誓文


一 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ[編集]
(現代表記)広く会議を興し、万機公論に決すべし。

一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ[編集]
(現代表記)上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。

一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス[編集]
(現代表記)官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。

一 舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ[編集]
(現代表記)旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。

一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ[編集]
(現代表記)智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。


勅語[編集]

勅語と奉答書(太政官日誌掲載)
(現代表記)我が国未曾有の変革を為んとし、朕、躬を以て衆に先んじ天地神明に誓い、大にこの国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆またこの旨趣に基き協心努力せよ。年号月日 御諱
(意味)我が国は未曾有の変革を為そうとし、わたくし(天皇)が自ら臣民に率先して天地神明に誓い、大いにこの国是を定め、万民を保全する道を立てようとする。臣民もまたこの趣旨に基づき心を合わせて努力せよ。


奉答書[編集]
(現代表記)勅意宏遠、誠に以て感銘に堪えず。今日の急務、永世の基礎、この他に出べからず。臣等謹んで叡旨を奉戴し死を誓い、黽勉従事、冀くは以て宸襟を安じ奉らん。慶応四年戊辰三月 総裁名印 公卿諸侯各名印
(意味)天皇のご意志は遠大であり、誠に感銘に堪えません。今日の急務と永世の基礎は、これに他なりません。我ら臣下は謹んで天皇の御意向を承り、死を誓い、勤勉に従事し、願わくは天皇を御安心させ申し上げます。

(奉答書の日付が「慶応四年」となっているが、後の明治改元により慶応四年は1月1日に遡って明治元年に改められた(大正以降の改元とは異なるので要注意)。よって正式には「慶応四年」は「明治元年」に読みかえる[要出典]。)


江戸幕府の天下のご政道を受け継いだものである。

武士始め士農工商四民はみな佛教を奉じていたので、天下のご政道は「和を以て貴しとなす」十七条憲法に遵って天下を治める佛教の政教分離統治であった。

 


22. 空虚[1348] i_OLlQ 2018年4月27日 14:22:15 : zlIEzuvVbU : SoTlseVWrls[1]
御誓文。

統治史の中で、数少ない光を見出せる行為だわな。

>21 富岳正彦 殿 善い※投稿ありがとう。

(ちと、長いから読むもんは多くなかろうがw)

アメリカ大統領も就任の際には、バイブルを手に宣誓をするが

その精神の目指すところは同様であろうと推測しても遠からずだね。


noblesse oblige だ。

美しい国に必要で危機的に欠乏しとるもんが、それだわな。

文書改竄、隠蔽 ハラスメント・・・職責放棄の指導体制。

官民問わずに蔓延しとるよ・・・。

 

 


23. 豊岳正彦[15] lkyKeJCzlUY 2018年4月29日 09:10:14 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[16]
>>21日本国憲法前文

幣原喜重郎は先祖代々の政教分離仏教徒だから、この「あたらしい憲法の話」も自ら日本のこれからをになう小中学生に向けて親が子に食物を噛んで含めるように、憲法という仏法をかみ砕いてわかりやすく元服(数え歳15,6歳すなわち満13,4歳)前のこどもたちという人類の宝に向けて話しかけるが如く、傷ついて残り少ない命を燃やしながら大和民族先祖伝来以心伝心の親心を傾け尽くして著作したのである。
www.asyura2.com/18/senkyo243/msg/697.html#c24

日本人の親心はムー大陸時代から仏法の大慈悲である。
よって幣原は2600年前にインドに現れた釈迦牟尼仏陀霊鷲山で説法したお経から日本国憲法を書いた。

仏教伝道協会の菩薩達が釈尊の説法すなわちお経を平易な現代日本語に和訳して出版してくださった「仏教聖典」から、幣原が日本国憲法前文を書いたときにその原典としたお経を紹介する。

このお経はブログ「アメリカ→官邸→マスコミの共認支配」に投稿して掲載されたものを転記する。ブログ主様掲載して下さりありがとうございます。
http://masukomi-kyounin.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-8cde.html#comment-116302841

放送法憲法29条違反である。」

日本国憲法は仏法である。

佛弟子幣原喜重郎が昭和21年に作った第九条は「無怨能勝怨」そのものです。https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/d5149f5de51e6c774696cd433f1a857a#comment-list


そもそも「憲法」とは聖徳太子以来太陰暦日本語で仏法に帰依すると言う意味だから、

日本国憲法仏教徒が帰依する釈尊の言葉即ちお経を昭和20年当時の日本人が使っていた日本語に翻訳した、
聖徳太子十七条憲法と同じほんとうの三宝帰依する「憲法」です。

十七条憲法聖徳太子という仏弟子天皇」が自ら発した詔勅ですが、

大日本帝国憲法明治天皇が発した詔勅ではなく、
長州ファイブで渡英して耶蘇一神教基督教フリーメーソン信者となった非武士伊藤博文が、

聖徳太子以来仏弟子だった太陰暦日本古来の「天皇」という地位を、

万物の造物主絶対神(唯物悪魔)一神教の聖書と太陽暦をとりいれて「廃仏毀釈」して、

煩悩に迷う仏弟子に過ぎなかった天皇を「唯一絶対神」に置き換える捏造で作ったものです。

大日本帝国憲法三宝に帰依せず仏法を守らないから、この憲法の「法」は仏法の「法」ではなく一神教ハムラビ法典の「法」である。

すなわち大日本帝国憲法は仏天子天皇詔勅でもなければ仏法にも帰依していないから、全く「憲法」ではない。

仏教徒日本人を上下ともにいっぺんに欺く、七不衰法を破る仏国土内部で最も極悪の罪を犯した「転輪王重臣」*が伊藤博文ですね。(*以下を参照)

ということで、今回は仏教聖典もろびとのためにで去年「株式日記と経済展望」に投稿したテキストを改行と補注と追補で推敲したテキストを次から投稿します。

日本国憲法「法庫」http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM

「あたらしい憲法の話」https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html

併せて読んでみてください。

幣原喜重郎が昭和21年敗戦直後に明治以前の江戸時代仏國日本の天下のご政道七不衰法を復刻して聖徳太子以来の仏法に帰依する憲法を立てて、

無有大陸以来伝統の仏国土日本に新しい王「主権者国民菩薩常民」を君主として立憲建国するという、

仏弟子菩薩不退転の金剛力「一切衆生草木国土皆悉成仏 為せば成る」の強い意志すなわち菩薩の大誓願を感得覚悟することができましょう。
____________________

仏教聖典_なかま_第一章人のつとめ_第三節もろ人のために から。

https://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/d5149f5de51e6c774696cd433f1a857a#comment-list
を推敲した。

仏教伝道協会http://www.bdk.or.jp/buy/bukkyoseiten.html
和文仏教聖典(A6判,331p)¥540を本屋に注文(送料が節約できる)
______________


第三節 もろ人のために 

 一、(長阿含経第二、遊行経)
 ここに国家を栄えさせる七つの教えがある。

一つには、
国民はしばしば会合して政治を語り、
国防を厳にして自ら守り、

二つには、
上下心を一つにして相和し、
ともに国事を議し、

三つには、
国風を尊んでみだりにあらためず、
礼を重んじ義を尊び、

四つには、
男女の別を正し、
長幼の序を守って、
よく社会と家庭の純潔を保ち、

五つには、
父母に孝し、
師長に仕え、

六つには、
祖先の祭壇をあがめて祭儀を行い、

七つには、
道を尊び徳をあがめ、
徳の高い師について教えを仰ぎ、
厚く供養することである。

 どんな国でも、
この七つの教えをよく守って破ることがないならば、
その国の栄えることは疑いがなく、
外国の侮りを受けることはないであろう。


 二、(華厳経第三四、入法界品)
 昔、大光王は、自分の王道を次のように説いた。

 「自分の国家を治める道は、まず自分を修めることである。
自ら慈の心を養って、
この心をもって国民に臨み、
人びとを教え導いて心の垢を除き去り、
身と心を和らげて、
世の中の楽しみにまさる正しい教えの喜びを得させる。

 また、貧しいものが来たときには、蔵を開いて心のままに取らせる。
そしてこれを手がかりとして、すべての悪から遠ざかるように戒める。

 人びとは各々その心をもととして、見るところを異にする。
この城中の民にしても、この都を美しいと見るものもあれば、また汚いと見るものもある。
これは各々、その心、その環境がそうさせるのである。

 教えを尊び、心の正しい素直な人は、木石にも瑠璃の光を見るのであるが、
欲が深くて自分を修めることを知らない者は、どんな立派な御殿でもなお美しいと見ることはできない。

 国民の生活は、万事みなこのとおり、心がもとになっているから、
わたしは国を治める大もとを、
民にその心を修めさせることに置いている。」


 三、(金光明経第一二、四天王護国品)
 大光王のことばどおり、
政道の大もとは、
民にその心を修めさせることにある。

 この心を修めることはさとりの道に進むことであるから、
政治の上に立つ人は、まず仏の教えを信じなければならない。

 もし政治を行う人が、
仏を信じ、
教えを信じて、
慈悲深く徳のある人を敬い、
これに供養するならば、
敵もなく、
恨みもなく、
国家は必ず栄えるに違いない。

 そして、国が富み栄えるならば、
他の国を貪り攻めることもなく、
また他を攻める武器の必要もなくなるであろう。

 したがって国民も満足して楽しみを受け、
上下和らいでむつみあい、
善を増し徳を積んで互いに敬愛し喜び合うから、
いよいよ人は栄え、
寒さ暑さもととのい、
日も月も星も常の程度を失わず、
風雨が時に従うようになり、
こうしていろいろの災いも遠ざかるようになるであろう。


 四、(大薩遮尼犍子所説経)
 王たるものの勤めは、民を守ることにある。
王は民の父母であり、
教え(すなわち仏法)によって民を守るからである。
民を養うことは、父母が赤子を養うようなもので、
父母が赤子のことばを待たず、湿ったものを取り替えて新しい布を当てがうように、
いつも民に幸いを与えて悩みを去るよう慈しみ養うのである。
まことに王は、民をもって国の宝とする。
これは、
民が安らかでなければ政道が立たないからである。

 だから、
王たるものは、民を憂えてしばらくも心を離さない。
民の苦楽を察し、
民の繁栄をはかり、
そのためには
常に水を知り、風、雨を知り、
実りの善悪を知り、
日照りを知り、
民の憂いと喜びを知り、
罪の有無と軽重、功績の有無などをよく知って、
賞罰の道を明らかにする。

 このように民の心を知って、
与えなければならないものは時をはかって与え、
取るべきものはよく量って取り、
民の利を奪わないよう、よく税を軽くして
民を安らかにする。

 王は力と権威によって民を守り、
このようにして
民の心になって民をよく見守るものが王と呼ばれる。

 
 五、(大薩遮尼犍子所説経)
 この世の中の王を転輪王というが、転輪王とはその家系が正しく、身分が尊くてよく四辺を統御し、また教えを守る(即ち仏法に帰依する)ところの王である。

 この王のゆくところには、
戦いもなく恨みもなく、
よく教え(仏法)によって
徳をしき、
民を安らかにして
邪と悪を下す。

 また転輪王は、
殺さず、
盗まず、
よこしまな愛欲を犯さず、
偽りを言わず、
悪口を言わず、
二枚舌を使わず、
むだ口を言わず、
貪らず、
瞋(いか)らず、
愚かでない。
この十善を行って民の十悪を去らせる。

 また、教え(即ち仏法の大慈悲)によって政治を正すから、
天下において思いのままになすことができ、
そのゆくところには戦いがなく、
恨みもなく、
互いに相犯すこともない。
したがって、
民は和らぎ、
国は安らいで、
民にいよいよその生を楽しませることができる。
だから教えを守る(即ち仏法に帰依する)王といわれるのである。

 また転輪王は、王の中の王であるから、
もろもろの王はみなその徳(大慈悲)を喜び、
その教え(すなわち大慈悲仏法)に従って各々その国を治める。

 このように転輪王は、もろもろの王をして各々その国に安んじさせ、正しい教えのもとに王の任を果たさせる。


 六、(大薩遮尼犍子所説経)
 また王は罪を裁決するにも、慈悲の心(すなわち仏法)をもととしなければならない。
明らかな智慧をもってよく観察し,
五つの原則をもってよく処置しなければならない。

 五つの原則というのは、

 一つには、実によって不実によらない。
これは、事実を調べて、その事実によって処断することである。

 二つには、時(じ)によって非時(ひじ)によらない。
これは、王に力のあるときが時(じ)であり、力のないときが非時(ひじ)である。
力のあるときは罰しても効果があるが、
力のないときには罰しても混乱があるだけであるから、
時を待たなければならない。

 三つには、動機によって結果によらない。
これは、罪を犯すものの心に立ち入って、
それが故意であるか故意でないかを見きわめ、
故意のことでなければ許すのをいう。

 四つには、親切なことばによってあらいことばによらない(すなわち和顔愛語)。
これは、
罪が規則のどれに当たるかを明らかにして罪以上の罰を与えないようにし、
また柔らかい優しいことばで諭してその罪を覚(さと)らせるのをいう。

 五つには、慈悲の心によって瞋(いか)りの心によらない。
罪を憎んで人を憎まず、
慈悲の心をもととして、
罪を犯したものにその罪を悔いあらためさせるように仕向けるのである(すなわち和顔愛語)。


 七、(大薩遮尼犍子所説経)
 もし王の重臣であって
国家の大計を思わず、
ただ自分の利ばかりを求め、
賄賂を取って政道を曲げ、
人民の気風を頽廃させるならば、
人民は互いに相欺くようになり、
強い者は弱い者をしいたげ、
貴い者は卑しい者を軽んじ、
富んだ者は貧しい者を欺き、
曲がった道理をもって正しいものを曲げることになるから、
災いがいよいよ増長するようになる。
 
 すると忠実な重臣は隠れ退き、
心あるものも危害を怖れて沈黙し、
ただへつらう者だけが政権をとって、
みだりに公権を用いて私腹を肥やし、
民の貧しさは少しも救われないようになる。

 このようになると、
政令は行われなくなり、
政道はまったくゆるんでしまう。

 このような悪人こそ、民の幸福を奪う盗賊であるから、
国家のもっとも大きな悪賊といわなければならない。
なぜなら、上を欺き下を乱して、一国の災いの源となるからである。
王はこのような者を、もっとも厳しく処罰しなければならない。

 また教えによって政治をしく王の国において、
父母の生育の恩を思わず、
妻子にだけ心を傾けて父母を養わず、
あるいはまた、
父母の所有を奪って
その(父母の)教えに従わないものは、
これをもっとも大きな悪の中に数えなければならない。

 なぜなら、
父母の恩はまことに重くて、
一生心を尽くして孝養しても、
し尽くせないものだからである。
主君に対して忠でなく、
親に対して孝でない者は、
もっとも重い罪人として処罰しなければならない。

 また教えによって政治をしく王の国の中においては、
仏と教えと教団(仏法僧)の三宝に対して信ずる心がなく、
寺を壊し経を焼き、
僧侶を捕らえて駆使するなど
仏の教えを破る行いをする者は、
もっとも重い罪の者である。

 なぜなら、
これらはすべての善行のもとである民の信念を覆すものだからである。
これらの者は、みなすべての善根を焼き尽くして、
自ら自分の穴を掘るものである。

 この三種の罪がもっとも重く、
したがってもっとも厳しく処罰しなければならない。
その他の罪は、これらに比べると、
なお軽いといわなければならない。」


 八、(大薩遮尼犍子所説経)
 正しい教えを守る王に対して逆らう賊が起こるか、
あるいは外国から攻め侵すものがあるときは、
正しい教えの王は三種の思いを持たなければならない。

 それは、
第一には、
逆賊または外敵は、ただ人を損い人民を虐げることばかりを考えている。
自分は武力をもって民の苦しみを救おう。

 第二には、
もし方法があるなら、
刃(やいば)を動かさないで、
逆賊や外敵を平らげよう。

 第三には、
敵をできるだけ生け捕りにして、
殺さないようにし、
そしてその武力をそごう。

王はこの三つの心を起こして、
それから後に部署を定め訓令を与えて戦いにつかせる。

 このようにするとき、
兵はおのずから王の威徳をおそれ敬ってよくその恩になずき、
また戦いの性質をさとって王を助け、
そして王の慈悲が後顧の憂いをなくすことを喜びながら、
王の恩に報いるために戦いに従うから、
その戦いはついに勝利を得るだけでなく、
戦いもかえって功徳となるであろう。


______________________
(第三節了:仏教聖典の本文に改行や(註)を挿入し校正した)

投稿: 豊岳正彦 | 2018年4月 5日 (木) 00時28分