豊岳正彦

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17. 豊岳正彦[3] lkyKeJCzlUY 2018年4月26日 23:28:15 : AKB67GaCh2 : rOxK_DunrP0[4]
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へいけんこんブログより
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2015/08/10

 

砂川事件最高裁判決は「憲法の神髄」から見て誤っている
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砂川事件最高裁判決は「憲法の神髄」から見て誤っている
内藤 功
憲法第九条『戦争放棄』は、世界史の扉を開くすばらしき狂人、幣原首相によって生まれたもの!
2013年05月08日 | 日本とわたし
この、終戦当時の首相であった幣原喜重郎氏による証言を、ぜひ読んでください。
この証言は、国会図書館内にある資料からのもので、戦争放棄条項、憲法第九条が生まれたいきさつが、事細かに書かれています。

 

憲法のどこが押しつけか?
押しつけ論のウソは、いったい誰が、どんな目的で作り上げたのか。

 

以下の、幣原首相の言葉は、一言一句、彼のものか、そしてまた事実なのか、美化されたところはないのか、それはわたしにはわからん。
けども、日本自らが、世界平和への鍵をにぎり、そのドアを開けた国であったことがわかり、胸が熱うなった。

 

「世界は今、狂人を必要としている。
何人かが、自ら買って出て狂人とならない限り、世界は、軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができない。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を、日本が果たすのだ」

 

なんちゅうすばらしい言葉やとかと思う。
これを今、チンケな政治家がいじろうとしてる。
日本が、原爆を落とされて重傷を負った日本が果たした歴史的使命を、浅はかな人間に奪われてたまるか!

 

死中に活!

 

肝っ玉が座った。

 

↓以下は、証言の中で特に感銘を受けた言葉を抜粋させてもろたもの。

 

原子爆弾というものができた以上、世界の事情は根本的に変わって終った。
世界は真剣に、戦争をやめることを考えなければならない。
そして、戦争をやめるには、武器を持たないことが一番の保証になる。
軍縮交渉とは、形を変えた戦争。
平和の名をもってする、別個の戦争であって、円滑な合意に達する可能性など、初めからないもの。
原子爆弾が登場した以上、一刻も早く軍拡競争を止めなければならぬとわかっていても、それは不可能。
集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景―それが、軍拡競争の果ての姿。

 

軍縮は不可能である。
絶望とはこのことであろう。
唯、もし軍縮を可能にする方法があるとすれば、一つだけ方法がある。
それは、世界が一斉に、一切の軍備を廃止することである。
一、二、三の掛け声もろとも、すべての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。
もちろん不可能である。
それが不可能なら不可能なのだ。
ここまで考えを進めてきたときに、九条というものが思い浮かんだ。

 

要するに、世界は今、一人の狂人を必要としているということである。
何人かが、自ら買って出て狂人とならない限り、世界は、軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を、日本が果たすのだ。
    
日本民族は、幾世紀もの間、戦争に勝ち続け、最も戦闘的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。
神の信条は武力である。
その神は、今や一挙に、下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって、日本民族は依然として、神の民族だと思う。
何故なら、武力は神でなくなったからである。
神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。
日本人は、その悪魔を投げ捨てることによって、再び神の民族になるのだ。
すなわち日本は、この神の声を、世界に宣言するのだ。
それが歴史の大道である。
悠々と、この大道を行けばよい。
死中に活というのは、その意味である』

 

 

↓以下、転載はじめ

 

 

この資料は、国会図書館内にある、憲法調査会資料(西沢哲四郎旧蔵)と題されたものを、
私(今川)が、川西市立図書館を通じて、国会図書館にコピーを依頼して手に入れ、
さらにそのコピーを、ワードに移し替えたものである。
原文は縦書きであるが、ホームページビルダーの性質上、横書きで書いている。

 

昭和三十九年二月

 

幣原先生から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情について

 

ー平野三郎氏 記―

 

憲法調査会事務局

 

は し が き
この資料は、元衆議院議員平野三郎氏が、故幣原喜重郎氏から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情を記したものを、当調査会事務局において印刷に付したものである。
なお、この資料は、第一部・第二部に分かれているが、第一部・第二部それぞれの性格については、平野氏の付されたまえがきを参照されたい。

 

昭和三十九年二月
憲法調査会事務局

 

 

第一部

 

私が、幣原先生から、憲法についてのお話を伺ったのは、昭和二十六年二月下旬のことである。
同年三月十日、先生が急逝される旬日ほど前のことであった。
場所は、世田谷区岡本町の幣原邸であり、時間は二時間ぐらいであった。

 

側近にあった私は、常に謦咳にふれる機会はあったが、まとまったお話を承ったのは当日だけであり、
当日は、私が、戦争放棄条項や天皇の地位について、日頃疑問に思っていた点を中心にお尋ねし、これについて、幣原先生にお答え願ったのである。
その内容については、その後まもなくメモを作成したのであるが、以下はそのメモのうち、これらの条項の生まれた事情に関する部分を、整理したものである。

 

なお、当日の幣原先生のお話の内容については、このメモにもあるように、口外しないようにいわれたのであるが、
昨今の憲法制定の経緯に関する論議の状況にかんがみて、あえて公にすることにしたのである。

 

 

衆議院議員・平野三郎氏: 
かねがね先生にお尋ねしたいと思っていましたが、幸い今日はお閑のようですから、是非うけたまわりたいと存じます。
実は憲法のことですが、私には第九条の意味がよく分りません。   
あれは、現在占領下の暫定的な規定ですか、それなら了解できますが、そうすると何れ、独立の暁には、当然憲法の再改正をすることになる訳ですか。 

 

幣原喜重郎氏:  
いや、そうではない。
あれは一時的なものではなく、長い間、僕が考えた末の、最終的な結論というようなものだ。

 

平野氏:
そうしますと、一体どういうことになるのですか。
軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうする訳なのですか。

 

幣原氏:  
それは、死中に活だよ。
一口に言えばそういうことになる。

 

平野氏:
死中に活といいますと……。

 

幣原氏:
たしかに、今までの常識ではこれはおかしいことだ。
しかし、原子爆弾というものができた以上、世界の事情は根本的に変わって終った、と僕は思う。
何故なら、この兵器は、今後更に幾十倍、幾百倍と発達するだろうからだ。
恐らく次の戦争は、短時間のうちに、交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰して終うことになるだろう。
そうなれば、世界は真剣に、戦争をやめることを考えなければならない。
そして、戦争をやめるには、武器を持たないことが一番の保証になる。

 

平野氏:
しかし日本だけがやめても仕様がないのではありませんか。

 

幣原氏:
そうだ。
世界中がやめなければ,ほんとうの平和は実現できない。
しかし、実際問題として、世界中が武器を持たないという真空状態を、考えることはできない。

 

それについては、僕の考えを少し話さなければならないが、僕は、世界は結局、一つにならなければならないと思う。
つまり、世界政府だ。
世界政府と言っても、凡ての国がその主権を捨てて、一つの政府の傘下に集まるというようなことは空想だろう。
だが、何らかの形における世界の連合方式というものが、絶対に必要になる。
何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少なくも、各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ、世界の平和は保たれないからである。
凡そ人間と人間、国家と国家の間の紛争は、最後は腕づくで解決する外はないのだから、どうしても武力は必要である。
しかしその武力は、一個に統一されなければならない。
二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、
交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくとも、武力が威嚇手段として行使される。
したがって、勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、かくて二個以上の武力間には、無限の軍拡競争が展開され、遂に武力衝突を引き起こす。
すなわち、戦争をなくするための基本的条件は、武力の統一であって、
例えばある協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるために必要な国々が、進んで、且つ誠意をもって、それに参加している状態、
この条件の下で、各国の軍備が、国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された武力が存在し、
それに反対して結束するかもしれない、如何なる武力の組み合わせよりも強力である、というような世界である。
    
そういう世界は、歴史上存在している。
ローマ帝国などがそうであったが、何より記録的な世界政府を作ったものは、日本である。
徳川家康が開いた、三百年の単一政府がそれである。
この例は、世界を維持する唯一の手段が、武力の統一であることを示している。
    
要するに、世界平和を可能にする姿は、何らかの国際機関が、やがて世界同盟とでも言うべきものに発展し、
その同盟が、国際的に統一された武力を所有して、世界警察としての行為を行うほかはない。
このことは、理論的に昔から分かっていたことであるが、今まではやれなかった。
しかし、原子爆弾というものが出現した以上、いよいよこの理論を現実に移す時が来た、と僕は信じた訳だ。

 

平野氏:
それは誠に結構な理想ですが、そのような大問題は、大国同志が国際的に話し合って決めることで、
日本のような敗戦国が、そんな偉そうなことを言ってみたところで、どうにもならぬのではないですか。

 

幣原氏:
そこだよ、君。
負けた国が負けたからそういうことを言う、と人は言うだろう。
君の言うとおり、正にそうだ。
しかし、負けた日本だからこそできることなのだ。
おそらく世界には、大戦争はもうあるまい。
もちろん、戦争の危機は、今後むしろ増大すると思われるが、原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制するからである。
第二次世界大戦が、人類が全滅を避けて戦うことのできた、最後の機会になると僕は思う。
如何に各国が、その権利の発展を理想として叫び合ったところで、第三次世界大戦が相互の破滅を意味するならば、
いかなる理想も人類の生存には優先しないことを、各国とも理解するからである。
   
したがって各国は、それぞれ世界同盟の中へ溶け込む外はないが、そこで問題は、どのような方法と時間を通じて、世界がその至高の理想に到達するかということにある。
人類は、有史以来最大の危機を通過する訳だが、その間どんなことが起こるか、それはほとんど予想できない難しい問題だが、
唯一つ断言できることは、その成否は一に、軍縮にかかっているということだ。   
もしも有効な軍縮協定ができなければ、戦争は必然に起こるだろう。
既に言った通り、軍拡競争というものは、際限のない悪循環を繰り返すからだ。
常に、相手より少しでも優越した状態に己を位置しない限り、安心できない。
この心理は果てしなく拡がって行き、何時かは破綻が起る。
すなわち、協定なき世界は、静かな戦争という状態であり、それは嵐の前の静けさでしかなく、
その静けさがどれだけ持ちこたえるかは、結局時間の問題に過ぎないという恐るべき不安状態の連続になるのである。 
   
そこで軍縮は可能か、どのようにして軍縮をするかということだが、僕は軍縮を身をもって体験してきた。
世の中に、軍縮ほど難しいものはない。
交渉に当たるものに与えられる任務は、如何にして相手を欺瞞するかにある。
国家というものは、極端なエゴイストであって、そのエゴイズムが最も狡猾で悪らつな狐狸となることを、交渉者に要求する。
虚虚実実千変万化、軍縮会議に展開される交渉の舞台裏を覗きみるなら、何人も戦慄を禁じ得ないだろう。
軍縮交渉とは、形を変えた戦争である。
平和の名をもってする、別個の戦争であって、円滑な合意に達する可能性など、初めからないものなのだ。 
    
原子爆弾が登場した以上、次の戦争が何を意味するか、各国とも分るから、軍縮交渉は行われるだろう。
むしろ軍縮交渉は、合法的スパイ活動の場面として、利用される程である。
不信と猜疑が無くならない限り、それは止むを得ないことであって、連鎖反応は連鎖反応を生み、
原子爆弾は世界中に拡がり、終りには大変なことになり、遂には身動きもできないような瀬戸際に追いつめられるだろう。
    
そのような瀬戸際に追いつめれても、各国はなお、異口同音に言うだろう。
軍拡競争は、一刻も早く止めなければならぬ。
それは分っている。
分ってはいるが、どうしたらいいのだ。
自衛のためには力が必要だ。
相手がやることは自分もやらねばならぬ。
相手が持っているものは自分も持たねばならぬ。
その結果がどうなるか、そんなことは分らない。
自分だけではない。
誰にも分らないことである。
とにかく自分は、自分の言うべきことを言っているより仕方はないのだ。
責任は自分にはない。
どんなことが起ろうと、責任は凡て、相手方にあるのだ。 
    
果てしない堂々巡りである。
誰にも手のつけられない、どうしようもないことである。
集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景―それが、軍拡競争の果ての姿であろう。
    
要するに、軍縮は不可能である。
絶望とはこのことであろう。
唯、もし軍縮を可能にする方法があるとすれば、一つだけ方法がある。
それは、世界が一斉に、一切の軍備を廃止することである。
一、二、三の掛け声もろとも、すべての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。
もちろん不可能である。
それが不可能なら不可能なのだ。
ここまで考えを進めてきたときに、九条というものが思い浮かんだのである。

 

そうだ。
誰かが自発的に、武器を捨てるとしたらー最初それは、脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。

 

次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。
自分は何を考えようとしているのだ。
相手はピストルをもっている。
その前にはだかの体をさらそうと言う。
なんという馬鹿げたことだ。
恐ろしいことだ。
自分はどうかしたのではないか。
もしこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂った、と言われるだろう。
まさに狂気の沙汰である。
    
しかし、そのひらめきは、僕の頭の中でとまらなかった。
どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。
恐らくあのとき、僕を決心させたものは、僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。
何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。
今だ。今こそ平和だ。
今こそ平和のために、起つ時ではないか。
そのために生きてきたのではなかったか。
そして僕は、平和の鍵を握っていたのだ。
何か僕は、天命をさずかったような気がしていた。
    
武装宣言ということは、従来の観念からすれば、全く狂気の沙汰である。
だが今では、正気の沙汰とは何か、ということである。
武装宣言が正気の沙汰か、それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果、もう出ている。
    
要するに、世界は今、一人の狂人を必要としているということである。
何人かが、自ら買って出て狂人とならない限り、世界は、軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を、日本が果たすのだ。
    
日本民族は、幾世紀もの間、戦争に勝ち続け、最も戦闘的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。
神の信条は武力である。
その神は、今や一挙に、下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって、日本民族は依然として、神の民族だと思う。
何故なら、武力は神でなくなったからである。
神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。
日本人は、その悪魔を投げ捨てることによって、再び神の民族になるのだ。
すなわち日本は、この神の声を、世界に宣言するのだ。
それが歴史の大道である。
悠々と、この大道を行けばよい。
死中に活というのは、その意味である。

 

平野氏:
お話の通り、やがて世界はそうなると思いますが、それは遠い将来のことでしょう。
しかし、その日が来るまではどうする訳ですか。
目下のところは差当りは問題ないとしても、他日独立した場合、敵が口実をつけて侵略したら。

 

幣原氏:
その場合でもこの精神を貫くべきだ、と僕は信じている。
そうでなければ、今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。
しかも次の戦争は、今までとはわけが違う。
僕は、第九条を堅持することが、日本の安全のためにも必要だと思う。
もちろん、軍隊をもたないと言っても、警察は別である。
警察のない社会は考えられない。
とくに、世界の一員として、将来世界警察への分担負担は、当然負わなければならない。
しかし、強大な武力と対抗する陸海空軍というものは、有害無益だ。
僕は、我国の自衛は、徹頭徹尾、正義の力でなければならないと思う。
その正義とは、日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論によって裏付けされたものでなければならない。
そうした与論が、国際的に形成されるように、必ずなるだろう。
何故なら、世界の秩序を維持する必要があるからである。
もしある国が、日本を侵略しようとする。
そのことが、世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それによって脅威を受ける第三国は黙っていない。
その第三国との特定の保護条約の有無にかかわらず、その第三国は当然、日本の安全のために必要な努力をするだろう。
要するに、これからは、世界的視野に立った外交の力によってわが国の安全を守るべきで、だからこそ、死中に活がある、という訳だ。

 

平野氏:
よく分りました。
そうしますと憲法は、先生の独自の御判断で出来たものですか。
一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果、ということになっています。
もっとも、草案は勧告という形で、日本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ、天皇の身体も保証できないという恫喝があったのですから、事実上命令に外ならなかったと思いますが。

 

幣原氏:
そのことは、此処だけの話にしておいて貰わねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の春から正月にかけ、僕は風邪をひいて寝込んだ。
僕が決心をしたのは、その時である。
それに僕には、天皇制を維持するという、重大な使命があった。
元来、第九条のようなことを日本側から言い出すようなことは、出来るものではない。
まして、天皇の問題に至っては尚更である。
この二つに密接にからみ合っていた。
実に重大な段階であった。                    
幸いマッカーサーは、天皇制を維持する気持ちをもっていた。
本国からも、その線の命令があり、アメリカの肚は決まっていた。
ところが、アメリカにとって厄介な問題があった。
それは、豪州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関しては、ソ連に同調する気配を示したことである。
これらの国々は、日本を極度に恐れていた。
日本が再軍備したら大変である。
戦争中の日本軍の行動は、あまりにも彼らの心胆を寒からしめたから、無理もないことであった。
日本人は、天皇のためなら平気で死んでいく。
殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の、不可分とも言うべき関係であった。
これらの国々のソ連への同調によって、対日理事会の評決では、アメリカは孤立する恐れがあった。
この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を、同時に提案することを、僕は考えた訳である。
豪州その他の国々は、日本の再軍備化を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。
故に、戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は、廃止されたと同然である。
もともとアメリカ側である豪州、その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆に、ソ連を孤立させることができる。
この構想は、天皇制を存続すると共に、第九条を実現する、言わば一石二鳥の名案である。
もっとも、天皇制存即と言っても、シンボルということになった訳だが、僕はもともと、天皇はそうあるべきものと思っていた。
元来天皇は、権力の座になかったのであり、また、なかったからこそ続いていたのだ。
もし天皇が権力をもったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。
世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。
日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を維持する神主のようなものであって、むしろそれが、天皇本来の昔に戻ったものであり、その方が、天皇のためにも日本のためにも良いと僕は思う。 
この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側から、こんなことを口にすることは出来なかった。
憲法は押しつけられた、という形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら、実際に出来ることではなかった。
そこで僕は、マッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが、
これは実に重大なことであって、一歩誤れば、首相自らが、国体と祖国の命運を売り渡す、国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。
松本君にさえも、打ち明けることのできないことである。
幸い、僕の風邪は肺炎ということで、元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰い、それによって全快した。
そのお礼ということで、僕が元帥を訪問したのである。
それは、昭和二十一年の一月二四日である。
その日僕は、元帥と二人きりで、長い時間話し込んだ。
すべてはそこで決まった訳だ。

 

平野氏:
元帥は簡単に承知されたのですか。

 

幣原氏:
マッカーサーは、非常に困った立場にいたが、僕の案は、元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。
しかし、第九条の永久的な規定ということには、彼も驚いていたようであった。
僕としても、軍人である彼が、直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、
賢明な元帥は、最後には非常に理解して、感激した面持ちで、僕に握手した程であった。
     
元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの侵略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点であった。
それについて僕は言った。 
     
日米親善は、必ずしも軍事一体化ではない。
日本がアメリカの尖兵となることが、果たしてアメリカのためであろうか。
原子爆弾は、やがて他国にも波及するだろう。
次の戦争は、想像に絶する。
世界は亡びるかも知れない。
世界が亡びれば、アメリカも亡びる。
問題は今や、アメリカでもロシアでも日本でもない。
問題は世界である。
いかにして、世界の運命を切り拓くかである。
日本がアメリカと全く同じものになったら、誰が世界の運命を切り拓くか。
好むと好まざるにかかわらず、世界は、一つの世界に向って進む外はない。
来るべき戦争の終着駅は、破滅的悲劇でしかないからである。
その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は、自発的戦争放棄国の出現を期待する以外にないであろう。
同時に、そのような戦争放棄国の出現も、また空想に近いが、幸か不幸か、日本は今、その役割を果たしうる位置にある。
歴史の偶然は、日本に、世界史的任務を受けもつ機会を与えたのである。
貴下さえ賛成するなら、現段階における日本の戦争放棄は、対外的にも対内的にも、承認される可能性がある。
歴史の偶然を、今こそ利用する時である。
そして、日本をして自主的に行動させることが世界を救い、したがってアメリカをも救う、唯一つの道ではないか。
また、日本の戦争放棄が、共産主義者に有利な口実を与えるという危険は、実際ありうる。
しかし、より大きな危険から遠ざかる方が大切であろう。
世界はここ当分、資本主義と共産主義の宿敵の対決を続けるだろうが、イデオロギーは絶対的に不動のものではない。
それを不動のものと考えることが、世界を混乱させるのである。
未来を約束するものは、たえず新しい思想に向って、創造発展していく道だけである。
共産主義者は、今のところはまだ、マルクスレーニンの主義を絶対的真理であるかのごとく考えているが、そのような論理や予言は、やがて歴史のかなたに埋没してしまうだろう。
現に、アメリカの資本主義が、共産主義者の理論的攻撃にもかかわらず、いささかの動揺も示さないのは、資本主義がそうした理論に先行して、自らを創造発展せしめたからである。
それと同様に、共産主義イデオロギーも、いずれ全く変貌してしまうだろう。
いずれにせよ、ほんとうの敵は、ロシアでも共産主義でもない。
このことは、やがてロシア人も気付くだろう。
彼らの敵も、アメリカでもなく資本主義でもないのである。
世界の共通の敵は、戦争それ自体である。

 

平野氏:
天皇陛下は、どのように考えておかれるのですか。

 

幣原氏:
僕は、天皇陛下は実に偉い人だと、今もしみじみと思っている。
マッカーサーの草案をもって、天皇の御意見を伺いに行った時、実は陛下に反対されたらどうしようかと、内心不安でならなかった。
僕は、元帥と会うときはいつも二人きりだったが、陛下の時は、吉田君にも立ち会ってもらった。
しかし、心配は無用だった。
陛下は言下に、徹底した改革案を作れ、その結果、天皇がどうなってもかまわぬ、といわれた。
この英断で、閣議も納まった。
終戦の御前会議の時も、陛下の御裁断で日本は救われたと言えるが、憲法も、陛下の一言が決したと言ってもよいだろう。
もしあのとき天皇が、権力に固執されたらどうなっていたか。
恐らく、今日天皇はなかったであろう。
日本人の常識として、天皇戦争犯罪人になるというようなことは考えられないであろうが、実際はそんな甘いものではなかった。
当初の戦犯リストには、冒頭に天皇の名があったのである。
それを外してくれたのは、元帥であった。
だが、元帥の草案に天皇が反対されたなら、情勢は一変していたに違いない。
天皇は、己を捨てて国民を救おうとされたのであったが、それによって天皇制をも救われたのである。
天皇は、誠に英明であった。
正直に言って、憲法は、天皇と元帥の聡明と勇断によって出来た、と言ってよい。
たとえ象徴とは言え,天皇と元帥が一致しなかったら、天皇制は存続しなかったろう。
危機一髪であったと言えるが、結果において僕は満足している。
     
なお、念のためだが、君も知っている通り、去年金森君から聞かれた時も、僕が断ったように、このいきさつは僕の胸の中だけに留めておかねばならないことだから、その積りでいてくれ給え。
  
    
ジャンル:
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これ以後を書き込んだ「豊岳正彦の無有万機公論」


























































































18. 豊岳正彦[4] lkyKeJCzlUY 2018年4月26日 23:46:49 :
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2015/08/07
憲政の邪道 暴走する安倍政権
――集団的自衛権立憲主義

 

新井 章(砂川事件弁護団

 

 

【編集部によるまえがき】「平和に生きる権利」は武力によらない安全保障
国会で審議中の安保法案=戦争法案に対して、多くの憲法研究者や法曹界から「違憲」の声が挙がっています。
これに反して、安倍政権が苦しまぎれに「合憲」の根拠としているのは3つです。
1959年の砂川事件最高裁判決、1972年の集団的自衛権に関する政府見解、そして「我が国をめぐる安全保障環境の変化」。
私たちはとくに砂川事件最高裁判決にこだわります。
なぜなら同判決が「自衛権は国家固有の権利」と主張するすぐ前に、日本国憲法前文の「平和のうちに生存する権利」を挙げているからです。
つまり「平和に生きる権利」が武力(この場合は駐留米軍)による安全保障を肯定する論理になっています。
私たち「平和に生きる権利の確立をめざす懇談会」は、日本国憲法の平和主義を守り広げる=武力によらない安全保障を求める運動を、1985年以来、30年にわたって続けてきました。
いま日本が再び海外で戦争をする国になるのか、という平和運動の正念場にあたって、あらためて「平和に生きる権利」を考える連載をお届けします。
その第1回は、砂川事件弁護団の新井章先生からご寄稿いただいた以下の論考です。(O)

 

1.集団的自衛権問題と砂川事件最高裁判決

 

1-1 安倍政権による集団的自衛権行使容認政策と安保法制改正(「戦争法案」)の企ては、多くの憲法学者から「違憲」の指摘を受けていよいよその法的正当性が疑われ、国民からの疑問や批判も強まっている。

 

 安倍首相や高村自民党副総裁らは、この苦境から脱するための窮余の一策として、こともあろうに半世紀前の砂川事件最高裁判決(1959年12月16日)を引き合いに出し、その判示に手前勝手な解釈を加えた上で、この判決はわが国が(集団的)自衛権保有していることを認めているなどとして、あたかもこの判決が彼らのいう集団的自衛権行使容認の主張に「合憲」の“お墨付き”を与えているかのごとく強弁している。

 

 しかし、このような安倍首相らの主張の真偽を検証するには、①最高裁判決をこの裁判事件の第一審からの流れのなかに位置づけて、当時の最高裁がこの裁判事件に関して担わされていた任務や課題は何であったかを的確に把握することが必要であるし、それに加えて何よりも、②最高裁判決の内容そのものがどのような論旨を展開し、判示していたかが、予断をまじえずに客観的・正確に把握されなければならない。

 

2-1 そこで、まず①の点(裁判の経過)から検討すると、そもそもこの最高裁判決は、検察側の跳躍上告(控訴審を省略 刑事訴訟規則254条1項)により、日米安保条約とそれに基づく米軍駐留を違憲と断じた東京地裁の第一審判決(いわゆる伊達判決 1959年3月30日)を、直ちに速やかに再審査すべき任務の下で行われた裁判であった。

 

 それゆえに、上告審の審理判断の課題も、第一審判決が採り上げた上記の問題(争点)、すなわち日米安保条約と米軍駐留の憲法(9条)適否についての審判に絞られることになったのは、当然至極の成り行きであり、最高裁での審判の過程に、わが国の集団的自衛権やその行使容認の是非をめぐる問題(争点)のごときが“登場”する余地がなかったことは多言を要しないところである。

 

2-2 次に②の点(最高裁判決の内容)についてみると、この判決の判示は前段と後段との二部構成となっていて、
前段は、日本政府が安保条約を締結して米軍の全土駐留を許したことが、政府に「戦力の保持」を禁じた憲法9条2項に違反するかどうかという問題(争点)についての判示である。

 

この判決では、駐留米軍は日本(政府)が保持を禁止された「戦力」には該らぬと判断され、米軍駐留は「合憲」とされている。

 

 後段は、日米安保条約が「戦争放棄・戦力不保持」を定める憲法9条等の非武装平和主義の趣旨に適合するか否かという問題(争点)についての判示である。

 

この点に関する最高裁の判断は、日米安保条約の締結という事柄は高度の政治問題なので、司法判断を任務とする裁判所の審判にはなじまぬとする(「統治行為」論)、司法判断回避の結論となった。

 

 以上のような二段にわたる判決の内容(論旨)からしても、

 

この最高裁判決が日米安保条約駐留米軍憲法9条等への適合性という問題(争点)に集中して、

 

それ以外に、

 

わが国固有の(集団的)自衛権のあり方やその行使容認問題についてまで触れる筋合いのものでなかったことは明白であり、

 

ましていわんや、

 

安倍政権の主張する「集団的自衛権の行使容認論」に法的根拠=“お墨付き”を与えるような内容ではなかったことは、一点の疑いもない。

 

 

2-3 かくして最高裁判決がわが国の集団的自衛権問題に判断を加えたものでないことはもはや明らかである。

 

それでもなお安倍首相や高村氏は、判決の前半の部分で裁判所が、
「わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な措置をとりうることは、国家固有の機能の行使として当然のことといわなければならない」と説示している箇所をとり上げ、

 

ここで裁判所が「自衛のための措置」と述べるのは、

 

個別的自衛権集団的自衛権も区別しない包括的な表現と読めるし、

 

少なくとも集団的自衛(権)を排除する趣旨とは解されないから、

 

この判決はわが国の集団的自衛権(行使)を否定していない(認めている)などと強弁している。

 

 

 しかし、この判決の前半が、わが国の有する個別的自衛権(の行使)に関して判示したものであることは、

 

その論脈からしても、文辞(「自国の平和と安全」「わが国の防衛力の不足」「わが憲法の平和主義は決して無防備・無抵抗を定めたものではない」等)に徹しても疑問の余地はなく、

 

彼らの立言は、断牽取義でなければ牽強付会の極みという以外にはないのである。

 

 

3 私は1956年に弁護士登録して砂川裁判の当時は開業3年目の若輩であったが縁あってこの裁判事件の上告審から弁護団に加わることとなり、

 

最高裁大法廷での口頭弁論から判決言渡まで、上告審の裁判の全過程に関与することができた。

 

従って、この裁判の経過や内容に関しては、“証人資格”をもつものの一人と自負してもいる。

 

 

2.集団的自衛権行使容認の閣議決定立憲主義

 

 立憲主義(constitutionalism)とは、国家権力の行使が憲法の定めに則って行われるべきことを求める主張(思想、原理)であって、近代憲法上の大原則の一とされている。

 

 歴史的には、ヨーロッパ中世以降の王権等による絶対主義体制を克服・打倒する闘いの過程で登場したとされるが、

 

わが国現憲法においてもこの思想は貫徹され、

 

違憲立法審査制の導入(81条)や憲法の最高規範性の確認(98条)等の定めに具体化されている。

 

 

 ところで、安倍政権ははじめから承知の上で、

 

憲法9条や前文の定める平和主義(戦争放棄・戦力不保持)の原則を軽んじ、

 

9条等の下では集団的自衛権の行使は許されぬとしてきたこれまでの歴代政府による憲法解釈を、

 

閣議決定」をもって敢えて「変更」し、

 

集団的自衛権の行使容認」――米軍等との共同戦闘行動に踏み切ろうとしているのである。

 

 もし安倍政権がそのような軍事的な新方針を採択し断行しようとするのであれば、

 

その内容が憲法9条等の平和原則にも抵触しかねない重大性を帯びているという事柄の性質上、

 

堂々と「憲法の改正」の手続(憲法第9章)を踏んで行われるべきスジである。

 

憲法の改正手続が実現困難だからといって、

 

その手続を回避し、

 

一内閣の「閣議決定」という行政決定の手続をもって「憲法解釈の変更」(憲法条項の実質的改正)を成し遂げようとするのは、

 

立憲主義体制への挑戦という以外の何ものでもなく、

 

憲政の邪道を行くものとの非難を免れないであろう。

 

 

3.安倍政権は「戦争法案」の強行で何を狙っているか

 

 この点について安倍首相自身が語るところによれば、

 

彼にとっては1945年の第二次大戦での敗北は不本意で不名誉極まる出来事であり、

 

それに引き続く戦勝連合国の対日占領政策によってわが国の国家主権は制限され、

 

米占領軍の押しつけ憲法の下で、

 

日本の伝統的な政治・経済・文化は解体・改変され、

 

占領終結後も米国軍隊の駐留継続により、

 

独立国家としては不甲斐ない従属的な状態に甘んじ続けさせられてきた

 

――このような屈辱的な「戦後レジーム」からの「脱却」をこそ図るべきだというのが、彼の政治家としての信条、宿願であると思われる。

 

 

 そして、さような彼の願望を遂げる方策として、

 

①対外的には、日米軍事同盟における両国の立場の対等化を図り(集団的自衛権行使容認や「国防軍」の創設、海外派兵の恒常化等)、

 

日本を再び軍事大国に仕立て上げること、

 

また、

 

②国内的には、

 

戦後70年で築かれてきた平和・民主・人権のわが国政治体制を解体・再編し、

 

国家主義・権力主義的な旧体制(アンシアン・レジーム)を“復活”させること(その青写真が自民党の「改憲案」である)を企図し、

 

狙っているものと察せられる。

 

 

 戦前日本の帝国主義軍国主義的な対外膨張政策(韓国併合や中国大陸侵攻等)がひき起こした、無謀な戦争とその惨禍に対する冷静で真摯な反省を欠いた、

 

このような安倍首相の「歴史認識」こそが、

 

国内的には昨今の「戦争法案」強行の基点をなしていると同時に、

 

国際的には中国・韓国等からの深甚な反撥を招き、

 

欧米諸国からも「右翼・ナショナリズム」との根深い不信を表明される現況を生み出しているわけである。

 

 

 このような安倍政権の危険で憲法違反が明白な“暴挙”を葬り去るために、

 

私たちは最後まであきらめることなく、全力で闘い抜かねばと決意している次第である。

 

2015/08/07