豊岳正彦

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北朝鮮韓国国民の歴史的反日怨恨感情の根源は伊藤博文総理の朝鮮国王妃軍事暗殺卑怯卑劣テロ事件である。

 北朝鮮韓国国民の歴史的反日怨恨感情の根源は伊藤博文総理の朝鮮国王妃軍事暗殺卑怯卑劣テロ事件である。
masa-ho.blogspot.com/2023/08/blog-post_20.html
松井知事「日本人ならごくごく自然なこと」  (産経ニュース)  : 靖国で不戦を誓うのは 政治家として当然のこと
asyura2.com/13/senkyo158/msg/472.html#c189
189. 2015年9月03日 12:20:29 : rWn9PLlcps
>>187,188は題して
廃仏毀釈フリーメーソン金利己他害カルト伊藤博文の明治六年武士道下克上クーデター」
http://saigaijyouhou.com/?no=7856
さて、自分が新政府で得た権力の私物化を求めて煩悩に迷った公家化元武士官吏大久保利通内務卿は、斬奸状の下に武士道武士らによって誅殺されましたが、田布施の非武士忍者非人伊藤博文も、皮肉にも和韓論の武士道西郷隆盛を自分の陰謀の西南戦争で殺して乗り込んだ朝鮮半島で、さらに皮肉にも1895年大久保と同じく斬奸状の下にこちらは非人ですから銃殺されたのです。

安重根の記した斬奸状はこちらを参照してください↓
「良く、こんなところで暮らしてるな・・・」
http://vrai2.blog.fc2.com/blog-entry-50.html
2012/08/02 13:21
伊藤博文暗殺事件の犯人、安重根斬奸状の要点

1 韓国のミン皇后を殺害した罪
2 韓国皇帝を廃位させた罪
3 5条約と7条約を強制的に結んだ罪
4 罪のない韓国人たちを虐殺した罪
5 政権を強制的に奪った罪
6 鉄道,鉱山,山林を強制的に奪った罪
7 第一銀行券紙幣を強制的に使った罪
8 軍隊を解散させた罪
9 教育を邪魔した罪
10 韓国人たちの外国留学を禁止した罪
11 教科書を押収して燃やしてしまった罪
12 韓国人が日本人の保護を求めていると世界に嘘をまき散らした罪
13 現在,日韓で競争が休みなく,殺戮が絶えないのに
  泰平無事なように上に天皇を欺いた罪
14 東洋平和を破った罪
15 日本天皇陛下の父である太皇帝を殺した罪

注目すべきは15番目に天皇暗殺が触れられてる。(笑)

ただ、一々検証は避けますが、
最初のミンピ事件とは大韓帝国皇后ミンピを
日本の三浦梧楼が指揮するとされる集団が宮廷に侵入、
皇后を全裸にして、強姦、嬲り者にした上、くびり殺した事件です。
日本の皇后がこれをやられたら、日本人は誰でも激怒する。
安重根の9歳の息子は彼の刑死、数日後に殺されています。

3の乙巳条約は、日本が欧米列強との間で結ばされた不平等条約
同じ屈辱的なもの。
これを日本は近代化の流れの中で解消したのですが
日本はそれをすべき政府そのものを略奪した。
日本が山林に植樹したり、鉄道を整備したのは事実ですが、
その前に6があった。
接収したものを日本が整備したに過ぎないんです。

韓国の排日、反感はこの明治政府の政策から始まってるんです。

これをやった日本政府にも言い分は勿論ある。
ロシアの南下があってもう李朝朝鮮がどうしようもなく腐敗していた。
日本の安全保障上の目的からも日韓同盟は必須だったけれど
朝鮮側の政治状況が不安定で政争に明け暮れてる。
やむを得ない手段だった。その通りです。

でも、軍隊を解散させるとか、焚書坑儒的なことが
彼らの自主性を全く無視した結果。結局、恨みを買ってるんです。
100年も前の話じゃなくて、反日教育の原点を冷静に見てきたら
日本の自業自得ということでもある。

そんなのは戦前の話で、オレはやってないというのは関係なくて、
その結果が現在の38度線の朝鮮半島分断につながってるわけだし、
イムジン川ではありませんが、今でも半島の人たちは影響を受けてる。
これは事実であって、自虐史観ではないですよ。

在日の原点は朝鮮戦争難民ですが、何故朝鮮戦争などがおきたのか
当たり前の話で国が分断されてしまった。
これを統一しようとしたのだから、
最初から統一朝鮮なら起きないことなんです。
つまり遠因は日本にある。(あった)

これはほんの一例ですが、こういったことをきちんと理解して、
そのまま事実として受け止め、その上で前向きに在日と接したら、
彼らも自分の苦悩は述べても、前向きな対処をしますよ。

それを差別するのは人の頭をぶん殴っておいて、
自己主張だけを言い続けて、相手が怒ったら、怒った方が悪いと言うようなもの。
「在日の行動背景の裏にはそれなりの理由がある」わけです。
日本人が彼らを嫌うそれなりの理由とはなんですか。

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 194. 豊岳正彦[-16933] lkyKeJCzlUY 2023年8月18日
閔妃暗殺事件
y-history.net/appendix/wh1403-037_1.html
1895年10月、朝鮮で実権を持っていた親露派の王妃閔妃を、宮中に乱入した日本公使らが殺害した事件。事件の背景には三国干渉によって親露派と結ぶ閔氏が台頭したことに対して、日本が反閔妃の大院君を利用して巻き返しを図ろうとしたことがあげられる。しかし王妃などに対する直接的な凶行は国際的な批判も受け、また朝鮮民衆の反日感情も強まったことから日本は朝鮮での発言権を弱め、かえって親露派が勢いづいた。
 みんびあんさつじけん。朝鮮王朝は、日清戦争の結果として1895年4月に締結された下関条約において、清の宗主権が否定されたことによって、属国としての立場から通常の独立国家であることが確定した。日本は朝鮮に対する強い指導権限を得たと判断し、並行して行われていた甲午改革といわれる近代化政策に介入し、その立場を強めようとした。ところが、直後のロシアを中心とした三国干渉があり、日本が遼東半島を清に返還せざるを得なくなったことで、朝鮮の政府内部にロシアと結んで日本の勢力を排除しようとする親露派が形成された。その中心には高宗の王妃として政治上の実権をふるうようになった閔妃(明成皇后、びんひ、ミンビ)がいる、と見られるようになった。
 そのような情勢のもと、1895年10月8日未明、日本公使三浦梧楼は公使館員、日本軍の京城守備隊などに日本人浪人を加えて朝鮮王朝の王宮に侵入させ、閔妃らを殺害し、死体を焼き払った。そのうえで大院君を王宮に入れ、高宗に対し、親露派を一掃し日本の協力の下で政治改革を進めることを強要した。この一連の王妃殺害事件と政権の交代を乙未事変(乙未は当年の干支)ともいう。

閔妃暗殺』
 この事件は一国の公使が在任国の宮廷でその王族を殺害するという前例のない出来事であった。しかし当時日本では、事件は閔妃と大院君の内紛に三浦公使が巻き込まれたにすぎないという理解と、公使の行動も日本の国益を守る愛国心から出たものであるという同情が一般的で、国内から非難がわき起こることはなかった。また関係者の証言や記録もあえて真実は語らないという態度のものが多く、事件の実情は闇に包まれていた。そのなかで1988年に角田房子が『閔妃暗殺』を発表してベストセラーとなり、初めて日本でも広く知られるようになった。歴史書ではないが、両国の史料をよく調べた力作であるので、それにそって事件の詳細を見てみよう。

三浦梧楼という人物
 三浦梧楼は長州出身の軍人であったが、彼が韓国駐在の公使となったのは、前任の公使で同じ長州の井上馨の推薦によるもので、伊藤博文山県有朋が決定した。井上は日清戦争後の駐韓公使として閔妃を何とか日本側に引きつけようと努力(例えば300万円の援助を約束するとか)を重ねたが、閔妃の親ロシア姿勢を変えることができず、最終的な手段として閔妃を除くことが必要と密かに考えるに至った。そこでその実行に適した人物として三浦が選ばれた。三浦はある〝決意〟をもって韓国に赴任した。三浦梧楼は戊辰戦争西南戦争で活躍し、直情径行の人として知られて、士官学校校長や学習院院長を務めた人物である。
 閔妃殺害事件はさすがに対外的にも問題となったので、公使としての三浦梧楼の責任が問われ、事件後召還されて広島で裁判となった。しかし直接関与の証拠はないとして無罪となった。彼はその後も長州閥の旧軍人として優遇され、晩年には枢密院顧問となっている。彼の回顧録が公刊されていて、様々な自慢話が語られているが「朝鮮事件」の一節は、自分の判断で実行したと語るだけで詳細は言葉を濁しており、「我輩の行為は是か非か。ただ天が照臨ましますであろう。」と結んでいる。<三浦梧楼『観樹将軍回顧録』中公文庫 p.290>

暗殺決行
 三浦の計画では、皇帝が親露派の閔妃に動かされて、日本軍人を顧問としている理由で解散させられることになった訓練隊が反乱を起こし、その混乱に乗じて閔妃を殺害、反閔妃の大物大院君を担ぎ出して親日派政府を樹立するというものであった。当初、1895年10月10日に決行と決めたが、訓練隊の解散が早まりそうになったため急遽、8日深夜に変更、三浦は公使館員堀口九万一や民間人の漢城新報社長安達謙蔵(後の政治家)、同社員の小早川秀雄らとはかり、実行要員として大陸浪人と言われるようなごろつき連中をあつめ、日本軍の馬屋原少佐にも連絡して態勢を整えた。大院君の決起という形をとるため浪人の岡本柳之助らがその幽閉先に向かい、寝所に押し入って強引に説得した。しかし大院君がすぐに腰を上げなかったため予定より時間をくっていまい、王宮に着いたのは明け方になってしまった。そのため、夜陰に乗じて閔妃を殺害するという計画は不可能となり、王宮に侵入しようとした日本軍と侵入者たちと王宮守備隊との銃撃戦となった。宮中に乱入した日本兵と抜刀した民間人は、閔妃をさがして駆けめぐり、女官などに手当たり次第に暴行を加えた。たまたま宮中にいたアメリカ人顧問やロシア人技師もそれを目撃した。この乱戦の中で閔妃は斬殺されたが、直接の下手人はわかっていない。後の裁判では日本の軍人だったという証言もあったが、他に数名の民間人が自分こそは下手人だと名乗るものがあり、結局は不明とされた。事件後宮中に入った三浦公使は閔妃を確認するとすぐに焼却を命じ、遺骨は宮中に埋められたとも、池に投げ込まれたとも伝えられている。<角田房子『閔妃暗殺』1988 新潮社刊 現在は新潮文庫

事件のその後
 その時の伊藤博文内閣の外相陸奥宗光は病気療養中で、西園寺公望文相が外相臨時代理を務めていた。西園寺は未曾有の事件に不審を抱き、ただちに小村寿太郎政務局長を現地に派遣した。小村が10月17日に西園寺に出した調査報告は三浦公使が使嗾(そそのかす)したものと断じたので、同日、公使を召喚し、罷免した。
 国際的な批判を受けた日本は三浦梧楼らを裁判にかけたが、証拠不十分で無罪となった。朝鮮の金弘集内閣は日本の圧力を受け、事件の解明を行おうとしなかったために民衆の反日感情は強まり、1896年1月、王妃である閔妃の殺害に憤激して「国母復讐」を掲げ、最初の反日武装闘争である義兵闘争が起きる。日本兵を含む政府軍が義兵鎮圧に向かい、首都の防備が手薄になったすきに、親露派はクーデタを起こし、高宗をひそかにロシア公使館に移して金弘集政権を倒して親露派政権を樹立した(2月)。閔妃暗殺事件は結局日本に有利な状況を作り出すことはできず、その後、ロシアはさらに朝鮮への影響力を強め、日本との対立が深刻化して日露戦争へと向かっていく。

参考 彼らを駆り立てたもの
 実行犯の一人である小早川秀雄は「朝鮮とロシアの関係をこのまま放置しておくならば、日本の勢力は全く半島の天地から排斥され、朝鮮の運命はロシアの握るところとなり、・・・これは単に半島の危機であるばかりか、まことに東洋の危機であり、また日本帝国の一大危機といわねばならない。この形勢の変動を眼前に見る者は、どうして憤然と決起しないでおられようか」と書いている。彼は韓国に来る前は熊本の小学校の先生だった。

(引用)このように全員が「閔妃暗殺は、日本の将来に大いに貢献する快挙である」と信じて、一点の疑いも抱いてはいなかった。《逆効果にはなりはしないか。日本を窮地に追いこむ結果になりはしないか》と思い悩んだり、ためらったりした人はいない。彼らの多くが、殺人は刑法上の重大犯罪であり、特に隣国の王妃暗殺は国際犯罪であることを知らなかったわけではない。しかしそれが、〝国のため〟であれば何をやっても許される、それをやるのが真の勇気だという錯覚の中で、殺人行為は「快挙」となり、〝美挙〟と化した。<角田房子『閔妃暗殺』1988 新潮社刊 p.306>

 角田房子の著作は現在では細部で誤りが訂正されているが、大筋では事件を正しく捉えている。どのような視点から見ても事件を正当化することはできない。また、無視したり、忘却することはできない。日本にとっても忘れたい事件であるが、事実に目を向けていくことが現在の日韓関係を良くしていく上でも必要である。<作成 2013/3/25>

閔妃暗殺事件 2023/2/15 <追記>
 以上、角田房子氏の『閔妃暗殺』を紹介したが、歴史事実として閔妃及び閔妃殺害事件について、最近の歴史書ではどのように説明されているか、改めて検証してみよう。
事件の発生 1895年10月8日未明、朝鮮王朝の王宮(景福宮)で、王妃の閔妃宮内大臣李耕植が殺害された。襲撃したのは日本軍京城守備隊(公使館付武官楠瀬幸彦ら)、公使館員(堀口九万一ら)、公使館警察官、大陸浪人と言われた一般人(安達謙蔵ら)からなる日本人と、訓錬隊幹部禹範善が指揮する朝鮮人部隊が加わっていた。宮中には国王と王太子閔妃がいたが、最も奥まった乾清殿にいた閔妃は踏み込んだ暴漢に殺害され、さらに兵士らによって遺体を焼かれた。王妃を守ろうとした侍衛隊長洪啓薫は戦死した。同日深夜、事件に先立ち岡本柳之助(朝鮮宮内府顧問)は漢城郊外に蟄居中の大院君を訪ねて説得、宮中に伴い、閔妃殺害後に大院君は高宗に会い、事態を収束させることを告げ、10日には閔妃を廃妃とした。
日本政府への報告 10月8日の公使館員らの動きを知らされていなかった日本領事館一等書記官内田定槌は事件当日に東京の原敬外務次官に第一報を送り「王妃を殺害したのは守備隊のある陸軍少尉である」と伝えた。事件が一段落してからの外務省への正式な報告では、内田書記官は「独り壮士輩のみならず、数多の良民、及び安寧秩序を維持すべき任務を有する当領事館員、及守備隊迄を煽動して、歴史上古今未曾有の凶悪を行うに至りたるは、我帝国の為実に残念至極なる次第に御座候」と報告した。<金文子『朝鮮王妃殺害と日本人』2009 高文研 p.249,254>

事件の背景と経過
 1895年春の三国干渉によって日本が遼東半島を清に還付したことから、朝鮮王朝内で閔妃を中心として親ロシア派の勢力が強まった。それに対して反閔氏政権の巻き返しが始まる情勢となった。まず大院君は4月に孫の李埈鎔が東学と結んで国王の廃位を目論んだという陰謀が明るみに出たことによって、蟄居させらていたので、閔妃に反撃する機会を狙っていた。親日派の中心にいた朴泳孝はかつての甲申政変の首謀者で、日本に亡命していたが、日清戦争中に日本公使井上馨の推薦で朝鮮に戻り、金弘集内閣に協力していた。朴泳孝は軍の改革を進めようとして日本士官によって訓練された訓錬隊を編制し、王宮を警備に当たらせようとしたが、高宗・閔妃は強く反対し、7月6日に朴泳孝は閔妃を除こうとした疑いで反逆罪に問われてしまった。そのため朴泳孝は難を避けて、二度目の日本亡命に向かった。訓錬隊に代わってアメリカ人士官の指導のもとで侍衛隊が設置されたので、訓錬隊には閔妃を恨むものが現れた。
日本公使三浦梧楼 三浦梧楼は9月1日、漢城に入り、3日に前任者井上馨と共に国王高宗に信任状を提出した。その後も井上と引き継ぎの協議をしている。井上は親露派に関心を向けている閔妃を日本側に取り込もうと300万円の寄付と電信電話線の朝鮮への譲渡を提案していたが、いずれも閔妃に拒否されていた。それをうけて三浦公使はより強い手段で日本の立場を守る必要があると考え、公使館の杉村濬、朝鮮政府とパイプのある岡本柳之助らと秘密裏に協議し、大院君、訓錬隊の禹範善らとも連絡をとりながら計画を練った。構想では大院君と訓錬隊がクーデタをおこして閔妃政権を倒し、その混乱を日本軍が鎮定して親日派政権を樹立しようとしたものと思われる(杉村濬の残した手記などで確かめられる)。 ただし最初から閔妃の殺害を計画していたかはわからない。三浦公使は、かつて日清戦争直前の1894年7月23日に、日本軍が朝鮮王宮を襲撃して占領し、大院君を擁立して親日政権を建てたことが「成功体験」としてあったので、今回もその再現を狙ったとも考えられる。
閔妃殺害の実行 襲撃は日本人、朝鮮人からなる多数の実行者によって行われた。殺害現場は凄惨なものがあった。直接に殺害した人物を一人として特定することは困難で、日本の軍人、兵士、いわゆる壮士の中には自分こそ最初の一太刀をふるったとか、とどめを刺したとか、死体を確認したとか、運んで火葬にしたとか、様々な証言がある。集団で行われた殺害行為であり、一人の行為ではないので、「誰が閔妃を殺したか」という問は意味をなさない。閔妃殺害集団の主力となっていたのは日本人であったが、朝鮮人の訓練隊員が加わっていたことも事実である。<詳細は、木村幹『高宗・閔妃』2007 ミネルヴァ書房 p.246-256 を参照>
国際問題化 計画では閔妃殺害は深夜に行い、実行者は暗いうちに宮廷外に出る予定だったが、大院君引き出しに手間取り、結局犯行を終えて引き上げるのが早朝となってしまい、宮中にいたロシア人政治顧問やアメリカ人軍事顧問に、日本人が血刀を下げて意気揚々と引き上げるところを目撃されてしまったため、国際問題化した。14日、アメリカの『ニューヨーク・ヘラルド』は「日本人は王妃の部屋に押し入り、王妃閔妃内大臣、女性三人を殺害した」という第一報を10日に漢城から発進したが、東京でさし止められていた、と報じた<原田敬一『日清・日露戦争』2007 岩波新書 p.193>。またイギリス人のジャーナリストは事件の詳細を取材し、英字新聞に発表した。このあたりの事情は、事件の前後に朝鮮に滞在したイギリス女性旅行家イザベラ・バードの記した旅行記朝鮮紀行』(講談社学術文庫刊)に詳しく記されている。<イザベラ・バード/時岡敬子訳『朝鮮紀行』1998 講談社学術文庫 p.351-361>
裁判 事件の国際問題化に困惑した日本政府は10月15日に外務省政務局長小村寿太郎を派遣、現地調査に当たらせた。小村は三浦梧楼公使、杉村公使館員、岡本朝鮮政府顧問など被疑者40数名を帰国させ、日本で裁判を受けさせることになった。他に関与した軍人は広島の第五師団で軍法会議にかけられることになった。
 朝鮮政府では日本に対する不信の増大を背景に大院君と親日派は力を失い、訓錬隊は解散となり、閔妃廃妃の詔勅も撤回された。12月1日に閔妃の死が正式に発表され、葬儀が執り行われた。同時にその死因は訓錬隊と日本公使館、そして日本人壮士の王宮襲撃にあったことが発表され、その処罰がなされることになった。金弘集政府は事件の収束を早めようと裁判を急ぎ、朝鮮王朝法部は謀反事件の犯人として朴鉄、李周会、尹錫禹の三名を逮捕し、12月29日に死刑判決が出された。彼らはいずれも計画には参加していないと主張したが、実行に加わったことを自白したため、有罪とされた。日本人実行犯に対しては、当時の朝鮮王朝では日朝修好条規が日本人に治外法権を認めている不平等条約であったので、日本人を裁く事はできなかった。
 朝鮮で朝鮮人三人の犯行と確定したことを受け、1896年1月20日、広島地方裁判所の予審において三浦前公使以下は事件への関与は認定されたものの、閔妃殺害の実行に関しては証拠不十分として免訴となり、広島の軍法会議でも全員無罪という判決となった。領事裁判権の時代だったので漢城の日本人に対する領事裁判も行われたが、取り調べる側の領事にも王宮侵入に加わった者がいるありさまだった。<山辺健太郎日韓併合小史』p.120>
事件の影響 訓錬隊と日本公使館守備兵による王宮襲撃事件としての閔妃暗殺事件は、朝鮮王朝内の親露派、親米派にも深刻な危機意識を引き起こし、彼らの中に米露両国の公使館に避難し、対抗する形で武装クーデタを企てるものが現れた。11月28日、アメリカ人ダイらに率いられて王宮攻撃を試みたが王宮の親衛隊に阻止されて失敗した。これは「春生門事件」ともいわれ、国王周辺は極度の緊張感に覆われた。親露派・親米派のクーデタを鎮圧した親衛隊の背後には依然として宮中に留まっている大院君がいるのではないか、と疑われたからである。<木村幹『前掲書』p.258-260>
 そのような緊張が続く中、民衆の中に「国母」閔氏を殺害した日本人の犯行に対する非難が高まっていたが、金弘集内閣は日本に妥協的でその関与責任の追及をしなかったことで不満が強まっていった。金弘集内閣は開化政策を進めることで民衆の不満を解消しようと12月に断髪令を出した。しかしそれは伝統的な髷を切る事への民衆の素朴な反発を呼び起こすこととなり、各地で武装した民衆運動が起こった(初期の義兵闘争)。
 いずれにせよ、閔妃暗殺は、国際的な批判を呼び起こして朝鮮における日本の国際的な発言力を弱めたこと、一時的な親日政府を作ったものの、民衆の反日意識を初期の義兵党争へと点火させたこと、高宗を露館播遷に追いこみ親ロシア派の台頭を許したこと、などから日本外交の大きな失点となった。
高宗の露館播遷 1896年2月11日、国王高宗は突然、景福宮からロシア公使館に遷るという「露館播遷」を決行した。それはロシア公使ウェーバーの後援による親ロシア派の一種のクーデタであり、それによって日清戦争以来の親日的な姿勢を保ってた改革派政権が崩壊したことを意味していた。露館播遷に反対した総理大臣金弘集らは激昂した民衆に撲殺された。
 高宗は同時に詔勅を発表し、「禍乱の張本人」として閔妃事件の時の軍務大臣趙義淵、訓錬隊隊長禹範善、その他の名前を挙げ、民衆に直ちに斬首して朕の観覧に供せよ、と呼びかけた。恐れた趙義淵は逃亡し、禹範善は日本に亡命した。禹範善王太子(後の純宗)も「国母」を殺害した人物して名前を挙げており、日本亡命後に朝鮮王朝の放った刺客によって殺されている。

残された謎

日本政府はどこまで関わっていたか 現在は日本では三浦梧楼公使と現地の外交官・軍人・大陸浪人といわれる民間人が謀議したことまでは明らかになっており、実行にも彼らが加わったことは確実なので、日本の関与とされるのは避けられないが、問題は政府・外務省や軍の中枢(大本営参謀本部)は知っていたかどうか、である。政府や軍中枢が事前に知っていたか、については否定的な見解が多い。ただし、最近では前公使井上馨の関与、あるいは朝鮮半島の電信線の確保を図るという軍事目的が強かったとみて当時の実質的な軍の最高の地位にいた川上操六参謀副長が、三浦梧楼と共謀したという視点も提出されている。<金文子『前掲書』2009>
大院君ははたして首謀者であったか 事件の首謀者は大院君であり、実行犯の中心は訓錬隊の朝鮮人兵士だった、日本人はそれに協力しただけである、とする説は当時の朝鮮政府の公式見解であり、日本人の関与を否定する際によく引き合いに出される。大院君が首謀者である可能性は、その閔妃に対する敵愾心の強さから、当然考えられるが、日本の協力がなければ軍事クーデタは不可能であっただろう。その際、大院君側が日本に働きかけたというのは、それまでの日本に対する姿勢から見て非現実的で、やはり、いつものように日本側が大院君を利用したとみるのが妥当であろう。
何のために凶行に至ったか 閔妃殺害は意図されていたが、偶然だったか、という議論は、当日の日本軍人、壮士たちのさまざまな証言から、当初から殺害目的であったことはあきらかである。では何のため殺害したのか、という問が残る。平たく云えば、当時の漢城にいた日本人の中に、日清戦争で勝利して朝鮮を独立させてやったのに、ロシアにその立場を奪われる、という危機感を持つようになり、愛国心から立ち上がった、という心情なのであろう。事件が明るみに出たときには、事件は血気にはやった民間人がやったことだと、まず宣伝された。もしそうだとすれば、近代的な外交交渉を掲げる法治国家であれば、そのような暴発は国家が抑えるのが通常であろう。ところが徐々に明らかになったことは公使や軍人の公的な立場にあるものの関与だった。そのレベルになると、三国干渉を受け入れざるを得なかったことで傾いた朝鮮での日本の地位を、なんとか回復するための国家的意図があった、ということになる。それは日露戦争期の保護国化を経て、1910年の韓国併合へと向かっていく。
 現在の一般的な近代の歴史理解では、1895年の朝鮮王朝王妃の閔妃を暗殺した事件に、日本の公使館や軍人、民間人が深くかかわっていたことは認められている。角田房子の『閔妃暗殺』が出た頃に比べれば大きく変わった。ところが、2000年代に入ってからか、日韓関係の風向きが怪しくなるにつれて、事件への日本人の関与を否定するような論調が現れている(wikipedia 乙未事件の項参照)。しかし実は、日本の事件当時の公式見解こそが、閔妃暗殺事件の本質は朝鮮内部の政治抗争であり、それに日本の一部の軍人、民間人が巻き込まれたものであり、日本人実行者は犯罪行為は認められず、国としても関与していない、というものだった。最近のネットで散見するような見方は、戦前の言説をなぞっているだけなのだ。
 第二次大戦後の研究の自由の進展でようやく日本公使館、軍、民間人の行為が明らかにされたのだが、国家レベルでは公式見解は変わっておらず、ましてや謝罪はない。120数年前の過去の出来事として忘却しよう、という姿勢のようだ。今必要なのは、戦前の公式見解に戻るのではなく、また事件を忘却したり、無視するのではなく、また歴史教育の現場では、微妙な問題だからと云って触れるのを避ける、といったことではなく、歴史の文脈の中に事実を正しく位置付けていく作業であろう。 <追記について> このサイトの「閔妃暗殺事件」の項が、角田房子の『閔妃暗殺』を根拠としている事への批判のメールをいただいたことから、改訂をしようと思ったことがきっかけです。メールでは、「角田氏の著作が一部は間違えているが大筋では間違いない」という根拠はあるのか、という質問でした。そのため、改めて角田氏以後の朝鮮史関係の主な本を勉強し直しすることにしました。その結果、まさに大筋では間違いないことが確かめられましたので、記事を改訂することはせず、<追記>としてその後の勉強で判ったことの要点のまとめることにしました。高校生の受験勉強にはいささか馴染まないかも知れませんが、歴史の事実を探求するという作業の一例ともなるかと思い、公開します。
 なお、角田氏の著作で誤りとされる部分の一つは、表紙に使われた閔妃の写真ですが、それは最近の研究では閔妃ではない、とされるようになっていることを含みます。またメールをくれた人は、閔妃を「国母」とするのは誤りで、角田の本が信用できない証拠だ、と言っています。しかし、閔妃は民衆からは「国母」と云われており、実子の王太子も「国母」と呼んでいますから間違いとは云えないと思います。またメールでは閔妃は宗教に凝って大金を貢ぐといった人で、国民からは恨まれていたと書いてありました。閔妃が「悪女」だとう説も戦前の暗殺事件直後から盛んに宣伝されたことで、それは殺されても仕方ない女だったんだ(福沢諭吉あたりが盛んに宣伝したと言われています)、というニュアンスがあり、いただけません。ここでは閔妃を弁護しても仕方がありませんが、閔妃の項でその人物像としてイザベラ=バードの観察を多く引用しておきました。
 またメールではわたしの記事は角田の本の誤りである日本人犯人説をくりかえすだけで、偏向しており「歴史を偽造」するものだ、このような自虐的な記事を書くから韓国の人が誤解し、日韓関係を悪くしているのだ、という見解が述べられていました。これには曲解も甚だしいと呆れるばかりですが、メールへの反論も含めて勉強の結果を<追記>として書き加えました。また誤解を避けるため、引用、紹介に当たっては、偏らないように極端な論者は避け、定評のある著者や広く認められている新書など(残念ながら日本語文献だけですが)からに限定しました。勿論、すべての参考文献に当たったわけではないので、まだ勉強は続くことになります。<2023/2/15 記>

195. 豊岳正彦[-16953] lkyKeJCzlUY 2023年8月19日 11:21:32 : yRgpGQVp4c : dFl0cTkyZ3I5VDY=[3] 報告     
▲△▽▼
<■88行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
外国の王妃を伊藤博文は手下に宮殿で襲わせて暗殺させた。手下は田布施あたりのエタヒニンだよ、伊藤はヒニンだからな暗殺専門の忍者だ。死体は焼いて骨にしてどこかに隠して証拠隠滅して、治外法権で無罪だ。コロナで病院で医者に殺されて焼かれて骨だけ帰ってきた志村けんさんと朝鮮の王妃は同じ目にあってる。地球のエタヒニン暗殺専門殺人犯は医者だよ。治外法権は裁判官が決めたから弁護士も全員共犯だ。w
地球のエタヒニンロックフェラーフリーメーソンマッカーサー大英帝国陸軍元帥ロスチャイルドフリーメーソンヒロヒトと共謀して沖縄を艦砲射撃でぶち壊して上陸して女子供を焼き殺したり引き裂いたりグラマンで空から撃ち殺したりルメイが焼夷弾で酸欠死させて焼いて骨にしたり戦争犯罪兵器の原爆を2発も落として治療なしのデータを集めて隠蔽したり、自分が勝手に東条英機を冤罪の南京虐殺の罪を擦り付けて死刑にして日本の領土を分捕って米軍基地立ち入り禁止で基地外に出てきては殺人強姦強盗器物損壊窃盗何でもかんでもやり放題で地位協定無罪だぜ。そんなばかに何が作れるのかw全部パクリやないかwそれをありがたがってる岸田林日本政府三権憲法違反汚職犯罪者公務員売国国家叛逆罪のお前らの知能の低さにはミミズもびっくりだわw

伊藤は内閣総理大臣だ。つまり国の代表が組織的殺人罪の首謀者だ。総理大臣が殺人を犯したら、ヒットラーでも死んでも有罪だし死んでも謝罪もしてないなら国全体が総理の殺人の責任を免れないから、現総理を国を代表する殺人犯として逮捕して国際刑事司法裁判所に召喚してもらって裁いてもらえば国民の謝罪は終わるだろ。総理も国のために処刑されたら英雄だから靖国にお祭りしてあげるよ。安心して処刑されてくれ。これで日米韓三国融和だよw

「三浦梧楼の回顧録が公刊されていて、様々な自慢話が語られているが「朝鮮事件」の一節は、自分の判断で実行したと語る。」朝鮮事件すなわち暗殺事件だから自分の判断で暗殺実行したと自白してるだろ。組織的殺人罪では殺人を直接命令してなくても主犯は死刑だぜ。工藤会裁判で判例がある。伊藤は三浦に親露派の王妃勢力を打破せよと命令して三浦が王妃暗殺実行したが、伊藤が孝明天皇を暗殺したことは安重根も斬奸状に書いているくらい当時の国際関係上周知の事実だよ。伊藤は暗殺テロ常習犯だ。工藤会総裁と同じだね。だから伊藤に忖度して三浦が暗殺テロしたのさwロシアと米国の証言もあるだろwアメリカにも伊藤総理の部下が朝鮮国の王妃を殺害したという記録がある。総理が国家を代表するから伊東の犯罪責任は岸田がとることになる。いやなら総理辞めたら済むことだ。林に譲ってやれ伊藤博文か三浦梧楼の系譜に近いんだからw
岸田は親米親韓親中だが、お前ら岸田と同じく韓国の反日教育が好きなんかw

近現代史を教えてやるよ。
伊藤博文は教科書に何も出とらん。まず幕末明治維新で何もしとらん。山県有朋も。功山寺決起の時最初に参加したという与太話もあるが騎馬の前原一誠が真っ先という話もある。伊藤はグラバー亭でも坂本龍馬西郷隆盛と話をしたとかないやろ。明治維新は武士の仕事だから、武士で無かった伊藤や山県は表舞台に登場できない。そのままならよかったが、毛利公の痛恨事は彼らを見せかけの藩士にしたことだ。裏口入学のwもともと奇兵隊は武士だけでなく無法無頼のごろつきも参加したので、長州藩の武士と非常に対立したことは記録にある。高杉晋作が藩主側近と対立したのも奇兵隊の無学無法なごろつきが原因だ。長州藩の弱点は明治維新が成る前に武士が大方死んでしまって残ったのが大村益次郎前原一誠くらいだったということだ。桂小五郎はもともと武士じゃない藩医の息子(医者は日本でも中国でも奴隷だよw)だから、武士のたしなみの朱子学兵学儒学も習ってないから薩長同盟も決断力に欠けてなかなか結べなかったのさw明治新政府が薩摩の西郷と大久保ばかり目立つのも長州に武士が居なかったからだ。江藤新平が武士として伊藤と山県と七卿公家の汚職を公家諸法度などで追及したのも当たり前だ、長州には公家と非人しかいなかったから。大村益次郎は上野の彰義隊と戦ったあと死んだし、その後戊辰戦争で活躍したのは薩摩以上に安芸広島藩の私兵神機隊(護国神社軍神第一号)であるし、新政府ができても前原一誠は東京で伊藤山県と公家どもが学問もせずやたら土地を買い占めて猟官渉猟しながら豪邸を建てて宴会してるのを見て嫌気がさして新潟へ知事として出向してその後政府をやめて萩に帰った。武士たちは富貴を得て宴会するために維新回天に命を捨てて戦ったんじゃないからだ。久坂玄瑞高杉晋作と並んで松陰門下の三羽烏だった前原一誠には長州の公家と非人どもの破廉恥で乱れた富貴追求が我慢ならなかったのだ。だから伊藤は明治六年政変後真っ先に佐賀の乱江藤新平を殺した後すぐに萩の乱前原一誠を殺したのさ。だから毛利公も結局明治維新に何の功績もないやろ。裏口で武士にした非人伊藤博文に下克上されて明治維新の手柄を全部さらわれたというわけだ。遊び人だった吉田茂昭和天皇の口利きのもと裏口で東大に入学して卒業し英語もしゃべれないのに英国大使になったのは昭和天皇の祖父長州出身の大室寅之助が明治天皇だったからだよ、岡山の箕作は関係ないね。もし箕作が明治天皇だったら長州閥なども靖国神社も生まれたはずがないからね。特に靖国神社はもともとが高杉晋作が下関長府桜山に作った吉田松陰門下の仏式招魂場だからな。長州藩大村益次郎が私費で九段に移転して、大村益次郎の死後に長州出身明治天皇詔勅して靖国神社という仏式招魂場を東京の鎮守神にしたのである。だから天皇靖国で神事を行わない。これが真実である。大室寅之助田布施の力士隊隊員が伊藤博文に誘われて力士隊に入ってなければ天皇になることができなかったが、長州藩禁門の変で朝敵にした孝明天皇と皇太子は生かしておけないから、伊藤博文が京都で孝明天皇を暗殺したのは、朝鮮国にまで広く知られた史実だよ。これが安重根の斬奸状だ。ロスチャイルドフリーメーソンスパイ伊藤博文の朝鮮国王妃暗殺という組織的殺人罪極悪犯行こそが日韓関係日朝関係を壊した最大の原因である。岸田は謝罪できるかなw歴史を知らんバカ者にはアメリカの言うなりになるしか道がないかwそれが地獄への直行便だがねw


196. 豊岳正彦[-16961] lkyKeJCzlUY 2023年8月19日 12:49:44 : yRgpGQVp4c : dFl0cTkyZ3I5VDY=[4] 報告     
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野良猫丸@wildcat_x
Replying to @lyuzhngyn1 and @AARKdbWeK7hQeCV
外交文書とか、政府間のやりとりを記録するのに「ウソ」を書く必要ありませんよね。
いわば、マンション管理委員会の議事録と同じ。

わざわざ、閔妃をねらうくらいなら、大院君と高宗の身柄を確保して「ウチの嫁は離婚したよ」と一言いってもらえばそれで解決よ。
それで権限ゼロになるし。
_______________________

豊岳正彦
@lyuzhngyn1
·
お前ら法律知らんから教えたる。
法益は「身体生命」と「生活私有財産
アウトは極刑犯罪。戦争行為すべてアウト。
http://asyura2.com/22/iryo9/msg/793.html#c135

第九条 死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留及び科料を主刑とし、没収を付加刑とする。

(内乱)
第七十七条 国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした者は、内乱の罪とし、次の区別に従って処断する。

一 首謀者は、死刑又は無期禁錮に処する。

外患誘致
第八十一条 外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。

外患誘致罪の法定刑は死刑のみ

(外患援助)
第八十二条 日本国に対して外国から武力の行使があったときに、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与えた者は、死刑又は無期若しくは二年以上の懲役に処する。

外患援助罪の法定刑は、死刑、無期懲役、2年以上の懲役

(現住建造物等放火)
第百八条 放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、艦船又は鉱坑を焼損した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

(激発物破裂)
第百十七条 火薬、ボイラーその他の激発すべき物を破裂させて、第百八条に規定する物又は他人の所有に係る第百九条に規定する物を損壊した者は、放火の例による。第百九条に規定する物であって自己の所有に係るもの又は第百十条に規定する物を損壊し、よって公共の危険を生じさせた者

も、同様とする。
激発物破裂罪の法定刑は、死刑または無期懲役、もしくは5年以上の懲役

(現住建造物等浸害)
第百十九条 出水させて、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車又は鉱坑を浸害した者は、死刑又は無期若しくは三年以上の懲役に処する。

現住建造物等浸害罪の法定刑は、死刑または無期懲役、もしくは3年以上の懲役

(汽車転覆等及び同致死)
第百二十六条 現に人がいる汽車又は電車を転覆させ、又は破壊した者は、無期又は三年以上の懲役に処する。
2 現に人がいる艦船を転覆させ、沈没させ、又は破壊した者も、前項と同様とする。
3 前二項の罪を犯し、よって人を死亡させた者は、死刑又は無期懲役に処する。

(水道毒物等混入及び同致死)
第百四十六条 水道により公衆に供給する飲料の浄水又はその水源に毒物その他人の健康を害すべき物を混入した者は、二年以上の有期懲役に処する。よって人を死亡させた者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

(殺人)放置しておくことで人が死亡することが予想されるとき(溺れている人がいるなど)に、そのまま放置した場合にも適用される

第百九十九条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

決闘殺人罪は、決闘罪ニ関スル件(明治二十二年法律第三十四号)

第三条 決闘ニ依テ人ヲ殺傷シタル者ハ刑法ノ各本条ニ照シテ処断ス

決闘殺人罪の法定刑は、死刑または無期懲役もしくは5年以上の懲役

組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律
第三条 次の各号に掲げる罪に当たる行為が、団体の活動(団体の意思決定に基づく行為であって、その効果又はこれによる利益が当該団体に帰属するものをいう。以下同じ。)として、当該罪に当たる行為を実行するための組織により行われたときは、

その罪を犯した者は、当該各号に定める刑に処する。

組織な殺人罪の法定刑は、死刑または無期懲役もしくは6年以上の懲役

(強盗致死傷)
第二百四十条 強盗が、人を負傷させたときは無期又は六年以上の懲役に処し、死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。

(強盗・強制性交等及び同致死)
第二百四十一条 強盗の罪若しくはその未遂罪を犯した者が強制性交等の罪(第百七十九条第二項の罪を除く。以下この項において同じ。)若しくはその未遂罪をも犯したとき、又は強制性交等の罪若しくはその未遂罪を犯した者が強盗の罪若しくはその未遂罪をも犯したとき

は、無期又は七年以上の懲役に処する。

3 第一項の罪に当たる行為により人を死亡させた者は、死刑又は無期懲役に処する。

爆発物使用罪
爆発物取締罰則
第一条 治安ヲ妨ケ又ハ人ノ身体財産ヲ害セントスルノ目的ヲ以テ爆発物ヲ使用シタル者及ヒ人ヲシテ之ヲ使用セシメタル者ハ死刑又ハ無期若クハ七年以上ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

爆発物使用罪の法定刑は、死刑または無期懲役・無期禁錮、もしくは7年以上の懲役・禁錮

航空機の強取等の処罰に関する法律第2条に規定
ハイジャック中に人を死に至らしめるなどの犯罪
(航空機強取等致死)

第二条 前条の罪を犯し、よつて人を死亡させた者は、死刑又は無期懲役に処する。

航空機墜落等致死罪とは、空港の設備を破壊したり、飛行中の航空機を何らかの方法で墜落させ、人を死に至らしめる犯罪。

航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律第2条

前二項の罪を犯し、よつて人を死亡させた者は、死刑又は無期若しくは七年以上の懲役に処する。

海賊行為致死罪
海賊行為によって人が死に至った場合に適用。海賊行為とは、暴行や脅迫によって、船舶を強取する、運行を支配する、船舶内の財物を強取することなど。
海賊行為の処罰及び海賊行為への対処に関する法律
第四条 前条第一項又は第二項の罪を犯した者が、人を負傷させたときは無期又は

六年以上の懲役に処し、死亡させたときは死刑又は無期懲役に処する。

人質殺害罪
人質を取り、金銭を要求したり、逃走ルートを確保したりするなど、強要行為をしたときに、人質を殺害する犯罪。

人質による強要行為等の処罰に関する法律
第四条 第二条又は前条の罪を犯した者が、人質にされている者を殺したときは、死刑又は無期懲役に処する。

197. 豊岳正彦[-16969] lkyKeJCzlUY 2023年8月19日 20:17:42 : yRgpGQVp4c : dFl0cTkyZ3I5VDY=[5] 報告     
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ばか1匹目野良猫丸
@wildcat_x
外交文書とか、政府間のやりとりを記録するのに「ウソ」を書く必要ありませんよね。
いわば、マンション管理委員会の議事録と同じ。

わざわざ、閔妃をねらうくらいなら、大院君と高宗の身柄を確保して「ウチの嫁は離婚したよ」と一言いってもらえばそれで解決よ。
それで権限ゼロになるし。
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バカ2匹目
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くあさん01式
@NEWquisan
歴史を勉強しましょう
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Sputnik 日本
@sputnik_jp
【特集】トルソワ選手、中国でのアイスショーについて語る 「中国公演は素晴らしかった」 http://dlvr.it/Sts2th https://pic.twitter.com/hCAsRA7FfV
中国とロシアは官民一体となって両国和親しているね。岸田が対ロ制裁するなら中国は日本よりロシアを選んで対日制裁してくるが、日本を占領統治してるイスラエルモサドアメリカCIAの腐れポチ岸田は対ロ制裁強化して親中路線とるならばアメリカと中国に両方からどやされるが、どうするのかねwマー頭が空っぽだから親に背いてアメリカの狂犬にしっぽを振るだけか、親不孝のばか者めwもともと大英帝国陸軍元帥大日本帝国憲法絶対不可侵現人神軍事独裁「ニセ国体」愚鈍嘘つき犯罪者ヒロヒトが勝手に始めた太平洋戦争で、ヒロヒトスパイに外患援助された虐殺偏執狂犯罪者ルーズベルト米軍が、日本の沖縄を艦砲射撃でぼこぼこにして上陸して日本人の女子供を手りゅう弾で爆殺し火炎放射器で焼き殺し、本土に卑劣な原爆落として都市大空襲してグラマンで女子供を狙い撃ちで銃撃するしか能がないアメリカのトップ卑劣ガンの、国連憲章に違反して法益不平等の占領犯罪契約を押し付けた戦争犯罪が、昭和天皇全権委任憲法違反嘘つきコソ泥国益詐欺吉田茂がサンフランシスコの地下室で単独秘密調印した日米安保地位協定一体化密約共謀共同正犯だが、お前らは吉田茂同様日本の都市を焼夷弾で焼き払って工業生産を壊滅し民間人労働者ご先祖様たちを家族もろとも焼き殺した大勲位ルメイ空爆トルーマン原爆が、戦争を終わらすための正義の爆弾だったとかあほ丸出しで信じてるのかなw
とんだ無恥無学無能低能蒙昧の愚か者だな親不孝の極みだぜwまあお前らは極楽往生はあきらめなw子孫のために独立独歩で戦ったご先祖様も自分を殺した敵に集団で一斉にしっぽを振る太鼓持ち子孫に供養されても仏さんみんな迷惑だろw
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パーキンソン病じゃないなwパーキンソンは不動。不随意運動は舞踏病。診断が間違っとるwウソ診断で嘘投薬したら医師法20条違反だな。医師法は患者の法益「身体生命と私有財産」を医師の虚偽を以て侵害したら刑事犯罪だぜwだからこの場合全部無料奉仕なら医師法に触れないよw

コロナワクチンの接種同意書は嘘しか書いてないから署名しても法的に同意と認められない。同意なく致死性毒物を注射すれば医師法第1条違反診療契約偽造に基づく刑法故意の傷害殺人罪が成立。接種後に変死すれば刑訴法229条検視を行い胃内容と血液検査で毒物反応がなければそのまま接種した医師の故意に基づく刑法199条殺人罪が確定。刑法の相当因果関係。傷害殺人罪は医師のみに適用される。医師以外はワクチンが致死毒であることを知らないから。ヒポクラテスの誓いに反する人を殺す毒がワクチンである。化学工場で大量生産した麻薬と向精神薬はすべて致死毒である。植物そのものの乾燥大麻は致死毒ではないね。トリカブトは致死毒だが。毒キノコも、毒草もある。この鑑別は先人先達の知恵に頼るのみ。毒抜きも。まあ死ねば何もいらないがw


バカ3匹目
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ぴぇーる
@My068ddc7nB8SEd
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まだコイツ生きとった。昨日遅かったから今まで呼吸ストップしててちょうど蘇生したんじゃないですかね?
豊岳正彦
軍隊以外の民間人への軍事攻撃は大昔から世界中で戦争法違反の刑事犯罪だから、刑法で全部裁かれる。アメリカは空戦してないぜ。いつも軍用機で民間人だけを平気で虐殺してるから、建国以来の昔から戦争法違反の殺人罪常習犯だ。だからヨーロッパの空戦にアメリカの戦闘機は参加してないやろ。
戦争行為はすべて刑法極刑犯罪だと六法全書で証明してやったろ。
日本の総理大臣伊藤博文が掌握してる軍隊が非戦闘員の外国王妃を宣戦布告なしに軍隊組織で暗殺したら伊藤博文戦争犯罪人の首謀者で極刑で断罪されるにきまってるだろ。世界中のどの法律もいつもそうなってるわ。バカかお前ら。
アメリカとイスラエルとイギリスこそ人類史上最低最悪のテロ国家だよ。名誉?笑かすなwロスチャイルドフリーメーソンスパイ汚職と詐欺師と殺人犯伊藤博文に何の名誉がある?人をたくさん騙して殺した数が多いのが名誉か。そりゃ強盗殺人犯罪組織の無法者の外道な悪名で、人間が作る法治主義社会で人間の法益「身体生命と私有財産」を守る人間世界では恥であり最も罪が重い極刑犯罪だよ。伊藤博文の名誉って何か。答えろ日本国憲法9条違反の外道反社戦争犯罪者ども。


198. 豊岳正彦[-16977] lkyKeJCzlUY 2023年8月20日 09:08:51 : yRgpGQVp4c : dFl0cTkyZ3I5VDY=[6] 報告     
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<△26行くらい>
MI6は明治時代のロスチャイルドフリーメーソンであり、グラバーはロスチャイルドフリーメーソンのスパイ。だから長州ファイブはロスチャイルドフリーメーソンスパイである。アフリカに植民地を持つ国はイギリスとフランスであり、フランスはアメリカに自由の女神を送ったロックフェラーフリーメーソンの元祖であるが、いずれもモサドの子分である。だからジョン万次郎と福沢諭吉はロックフェラーフリーメーソンであり、これらはペリーの子分である。アメリカのユダヤ人はアメリカの建国以来ずっとFRBを支配している。そしてフリーメーソンは常に戦争を起こすために暗殺を用いる。独立戦争ロスチャイルドとロックフェラーの共謀共同正犯であり、独立戦争後の南北戦争によってアメリカのロックフェラーフリーメーソンは全土を支配した。ペリーはその長官であり、沖縄を手に入れて中国大陸進出の橋頭保にするために西海岸から出向して沖縄までやってきて、薩摩藩の武士の手ごわさを知って薩摩藩にここは薩摩の属国かと質問して、いや薩摩は江戸幕府支配下であると聞き浦賀に向かったのであった。これが黒船来航である。この時ペリーは虚勢を張っていたが幕府老中阿部正弘はすでにアメリ捕鯨船と交渉経験があり足元を見て丁重に追い返したのでペリーは1年後の再来を予告して帰ったのである。再度来航した時ハリスとジョン万次郎を連れてきて、阿部正弘と開港交渉に入った。幕府内は開港派と攘夷派で二分しておりもともと攘夷派だった安倍正弘は幕府の分裂を避けるため開港派の施策を採用して日米修好和親条約を結んだ。これは勅許をえずに強硬な開港派堀田正睦井伊直弼に配慮した者だったが、不平等条約であり、攘夷派の強い反発を受けて阿部正弘は老中首座を降りて次座となってその後は大老井伊直弼が攘夷派を一掃して安政の大獄を始めた。>199へ続く